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松沼博久・雅之、ドラフト外の肖像#6 運も実力のうち――プロで生き残るために必要な資質

日本プロ野球では1965年にドラフト制度導入後も、ドラフト会議で指名されなかった選手を対象にスカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。本連載ではそんな「ドラフト外」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。

2018/10/19

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「もう、球場に行くのが嫌だったもんね」

 ライオンズでまず結果を残したのは、兄の博久である。
 
「ブルペンでピッチングしても、凄いなというピッチャーはいなかった。同期の(ドラフト2位の)柴田(保光)は速かったけど、凄いという感じじゃない。東尾(修)さんは貫禄はあるけど、ボールは遅い。コントロールは別格だったけどね。自分は27(歳)になる年に入っているから、1年目から試合に出られないとこのまま終わってしまうというのがあった。根本さんから手伝ってくれと言われたのもあるし、試合に出られるんだろうなと思っていた。30試合に投げさせてくれるならば10勝ぐらいはするでしょうって」
 
 1年目、博久は10勝どころか、16勝10敗を挙げている。チーム最多勝で新人王を獲得した。なんでそんなに勝ったのか分からないんだよね、と博久は冗談めかして言った。
 
「たぶん相手の(ローテーションの)谷間に投げていたからかな。(近鉄バファローズの)鈴木啓示さんとか(阪急ブレーブスの)山田(久志)さんとかと投げ合っていないんだもの。俺が投げたとき、打線が元気だった。逆に(同期でドラフト1位の)森繁和が投げたときは、打線が沈黙してエラーが出るパターン」
 
 2年目は9勝14敗と負けが先行した。1年目の疲労が知らず知らずのうちに躯に蓄積、相手から配球を研究されたからだと博久は振り返る。
 
「もう、球場に行くのが嫌だったもんね」

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