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松沼博久・雅之、ドラフト外の肖像#6 運も実力のうち――プロで生き残るために必要な資質

日本プロ野球では1965年にドラフト制度導入後も、ドラフト会議で指名されなかった選手を対象にスカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。本連載ではそんな「ドラフト外」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。

2018/10/19

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肩の故障に悩まされた雅之

 しかし、この83年シーズンを頂点に雅之の成績は急降下していくことになる。再び肩の痛みが出てきたのだ。
 
「あの頃、俺は(通算)100(勝)は行くなと思っていました。そうしたら壊れちゃった。これはもうしょうがない。みんなには大学時代、投げすぎだとか言われたけど、そんなんじゃないですよ。壊れるときは壊れる。壊れない人は壊れない。いくらアイシングをしても壊れるときは壊れる。しなくても壊れない人は壊れない。それは分からないんですよ。だから自分に悔いはないですよ」
 
 肩に続いては肘にも痛みが出た。
 
「負け試合しか自分の居場所がない。リリーフで出ても、気持ちの入ったボールが投げられないから、案の定打たれるんですよ」
 
 雅之は兄より1年早い、88年シーズンを最後に引退した。通算69勝51敗10セーブという成績だった。
 
「もしジャイアンツに入っていたら、こんな成績も残せていない。兄貴は大丈夫だったかもしれませんけど、ぼくにジャイアンツは無理でした。広岡さんが入って強くなった後に(ライオンズへ)入っていても駄目だったでしょう。他にいい投手がいなかったときの西武に入った。それも運」
 
 兄貴とキャッチボールをすると、今でも天才だと思うとぽつりと言った。博久の投げた球を受けると、グローブに入った瞬間、ぎゅっという強い力を感じるのだという。
 
「ボールに体重を上手く乗せているんです。兄貴は腰の力も強かった。相撲で負けたことがないっていうのが分かる。ぼくなんかすぐに負けちゃう。図体はでかいんですけれど、弱いんです」
 
 しかし、その兄は東洋大学卒業のときにプロ野球球団から声が掛からなかった。大学卒業の時点で将来を嘱望されたのは雅之である。
 
「それは運なんですよ。兄貴は力があったけどプロ入りする運がなかった。いつも思うのは、高校でも大学でも、同じ年か一つ上に江川さんのような人がいたら、ぼくは補欠。バッティングピッチャーしか道がない。超名門校に行ったら、試合に出られていない可能性があった。そこで埋もれちゃっているでしょう」
 
 だからね、大切なのは運とタイミングなんですよと言った。そして思い出したように「ちょっとだけ実力かな」と付け加えて悪戯っぽく笑った。【全編は書籍で

書籍情報

『ドラガイ』2018年10月15日発売
(著者:田崎健太/272ページ/四六判/1700円+税)
 

 
<収録選手>
CASE1 石井琢朗(88年ドラフト外)
CASE2 石毛博史(88年ドラフト外)
CASE3 亀山努 (87年ドラフト外)
CASE4 大野豊 (76年ドラフト外)
CASE5 団野村 (77年ドラフト外)
CASE6 松沼博久・雅之(78年ドラフト外)

 
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ドラガイ
 

【著者紹介】
田崎健太 たざき・けんた
1968年3月13日、京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』(集英社インターナショナル)『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』

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