ロッテ・福浦、打者転向で運をモノにした選手。2000安打達成、次なる期待は“初登板”【小宮山悟の眼】
千葉ロッテマリーンズの福浦和也内野手がプロ野球史上52人目となる通算2000安打を達成した。かつてチームメイトとしてともにプレーした小宮山悟氏が当時を振り返り、記録達成に祝福を送った。
2018/09/27
投手・福浦の登板に期待
私はその試合を観戦できなかったがメッセージは送った。何度かやり取りした中で、私は「会見で次の目標はと聞かれるだろうから、初登板って答えろ」と送った。本人からは「怒られますよ」と返ってきたが、私は本気で言っている部分もあった。
試合がワンサイドになった場合、投手を温存したいときもある。メジャーではその際に野手が登板することがあるため、監督が井口ならその起用も考えられると思ったのだ。
メジャーのような流れを日本でも作ってほしいと思ったから、そう伝えた。ただ、福浦は「1軍のマウンドに一度も上がることなくやめていく投手がたくさんいるから失礼だ」と考えるような選手だ。そうは簡単にいえないのだろう。
今後は球団との話し合いで判断されると思うが、率直に言って、2割を超える程度の打率では現役続行は厳しい。ホームランの怖さがないというのもある。
しかし、今年は記録に縛られ、コンディション的にも難しさがあっただろう。打てない原因が分かっているなら、来年も続けるチャンスをもらって良いと思う。もう少し現役で頑張ってほしい。
ともかく、いまは2000本安打達成、おめでとうと言いたい。
小宮山悟(こみやま・さとる)
1965年、千葉県生まれ。早稲田大学を経て、89年ドラフト1位でロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)へ入団。精度の高い制球力を武器に1年目から先発ローテーション入りを果たすと、以降、千葉ロッテのエースとして活躍した。00年、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)へ移籍。02年はボビー・バレンタイン監督率いるニューヨーク・メッツでプレーした。04年に古巣・千葉ロッテへ復帰、09年に現役を引退した。現在は、野球解説者、野球評論家を務める。
氏原英明