DeNAドライチも、ドラフト外戦士の凄さがわかった!? 西武黄金期の礎を築いた松沼兄弟
11月15日にジュンク堂書店池袋本店にて『ドラガイ』出版記念のトークライブが行われた。ゲストとして書籍にも収録されている、松沼博久・雅之兄弟が登場。軽妙な兄弟のトークに、会場は大いに盛り上がった。今回はトークショーの一部を掲載する。
2018/12/07
我が儘なのは兄? それとも弟?
田崎 ぼくにとって松沼兄弟というのは、子どもの頃から見ていた選手です。特に「兄ヤン」こと、お兄さんの博久さんは、髭を生やして大人っぽい印象。『ドラガイ』の取材前で会うまで、ずっと怖い人だと思っていました。話してみると優しくて面白い人なのでびっくりしました(笑い)。
博久 人と話をするのが嫌いなんだよね(笑い)。西武のときも他の選手とあまり話をしなかった。キャッチボールの相手もいつも弟。弟とは普通に話が出来るじゃないですか。ぼくは野球をやりに行っているんだから、余計な気を遣いたくなかったんですよ。
田崎 その怖いオーラがぼくたちに伝わっていたのかもしれませんね(笑い)。先ほど楽屋で弟の雅之さんは『ドラガイ』を読んで、やっぱり兄貴は我が儘だと思ったとおっしゃってました。
博久 (大きく手を振って)いやいや、全然我が儘じゃないです。ぼくの方が弟よりもいい子でしたよ。
田崎 松沼家は四人きょうだいで、上二人にお姉さんがいて、博久さん、雅之さん。『ドラガイ』では弟の雅之さんから見たお兄さんの話が出てきます。お兄さんから見て、弟の雅之さんはどんな子どもだったんですか。
博久 もう、マイペースで我が儘。自分の道を行く、みたいな(笑い)。親の言うことも全然聞いていなかったんじゃないですか。ぼくが6、7歳のときだったかな。お袋が(隣の雅之を指して)これを「ちょっと滑り台まで連れていってよ」って頼まれるんです。こっちはなんで俺が連れて行かなきゃなんないんだっていうのがありましたよ。しょうがないから連れていくんだけれど、いつまでも滑っている。いい加減にしろよって。
雅之 それを言ったら兄貴もお姉ちゃんに世話になっているでしょ。
博久 うん、世話になった(深く頷く)。
田崎 順番として面倒をみなきゃいけないですよ!
雅之 ぼくだけじゃないと思いますけど、一番下って自分の子どもの頃のことをみんなに覚えられている。姉たちも雅之はこうだったって、記憶にないことで責められる(笑い)。ぼくは兄ヤンの格好悪いところとか、一切知らない。だから太刀打ちできないんです。
田崎 二人は4歳違い。雅之さんは、取手二高、東洋大学と博久さんと同じ道を進みました。
雅之 そうです。長男が敷いてくれたレールに乗って行ったんです。
田崎 お兄さんにとって後から来る弟っていうのは、可愛いものなんですか、それともライバルですか?
博久 ライバルじゃないね。弟が取手二高のときに見に行って、一緒に練習したことがあるんですよ。弟だからひいき目に見るんですけれど、大した選手じゃないんですよ、本当に(笑い)。
田崎 ただ、博久さんが主戦投手となったのは高校3年生の夏の県大会のみ。雅之さんは監督だった木内幸男さんから1年生からエースを任されています。
博久 だから見る目がないんですよ(笑い)。でも弟の方が全然勝っているから、見る目はあるのか……。俺に見る目がないんだな(笑い)。