立身出世の鍵は“盗塁王” 数より率が求められる時代、変わりゆく盗塁の意義と変遷
2019/01/21
スーパースターが名を上げた平成前期
平成最初の10年間は、後に歴史に名を残す大打者たちが、数多く芽吹いた。
1995年に「3割30本30盗塁」のトリプルスリーを達成した野村謙二郎。1990年に33盗塁を決め、初の盗塁王に輝いたが、成功率は58.9%と、高い数字であるとは言い難い。しかし、翌91年には、成功率86.1%と大きく数字を改善して見せた。
緒方孝市は1995年に47盗塁でタイトル獲得以降、レギュラーに定着。翌年以降は打撃力を伸ばし、1999年には36本塁打を放った。投手から、野手転向をした石井琢朗は、1993年に24盗塁(成功率60%)で、盗塁王に輝くと、翌年以降レギュラーの座をガッチリと掴んだ。
松井稼頭央は、1995年に69試合の出場で21盗塁をマークし、一軍に定着。翌年は50盗塁を決め遊撃手のレギュラーを奪取すると、1997年に62盗塁を決め、自身初のタイトルを獲得した。翌98年も43盗塁で2年連続の盗塁王となっている。
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