立身出世の鍵は“盗塁王” 数より率が求められる時代、変わりゆく盗塁の意義と変遷
2019/01/21
赤星憲広が登場した平成中期
“飛ぶボール”の時代となり、盗塁数が前期後半と比べてやや減少する。盗塁をせずとも、長打で走者を還すことができるからだ。そこで盗塁数よりも盗塁率が重視されるようになる。
2002年の谷佳知は、歴代盗塁王の中で当時最高となった成功率91.1%をマーク。松井稼は、99年に3年連続3度目のタイトル獲得以降、率へのこだわりを見せ始め、2000年に、29回中26回の盗塁成功。翌01年には、盗塁成功率100%で、26盗塁をマークした。
一方で、平成中期は、赤星憲広が登場する。赤星は、ルーキーイヤーの2001年に39盗塁で、盗塁王と新人王のダブル受賞を果たすと、そこからセ・リーグ記録となる5年連続の盗塁王に輝く。2003年からは、飛ぶボール全盛であったにもかかわらず、3年連続60盗塁をマーク。8割を超える高い成功率で、量・質ともにパフォーマンスを落とさなかった。
ほかにも“スピードスター”の異名をとる西岡剛や片岡易之らが、盗塁によって出世し、球界を牽引する存在となった。また同じころ、無冠ではあるが、“代走のスペシャリスト”鈴木尚広が台頭。鈴木は、2003年に18盗塁を記録して一軍に定着すると、2008年には、105試合の出場で、規定未到達ながら打率.304をマークし、自己最多となる30盗塁を決めた。
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