川相昌弘、ドラフト4位の肖像#2――「お前は普通科高校に行って、大学に行ったほうがいいって言われました」
ドラフト四位指名―ドラヨンに結果を残している選手が多い。ドラフト一位指名は、その時点で同年代の野球少年の最前列にいると認められたことになる。その意味で、ドラヨンは、二列目以降の男たちとも言える。そんな“ドラヨン”で入団した野球選手を追った10/16発売の新刊「ドラヨン」から一部抜粋で先行公開する。
2019/10/15
田崎健太
「何か変えなきゃいけないっていう気持ちがあった」
岡山南に入学してみると、この男が監督を務めていた中学の野球部にいた選手がいた。川相とバッテリーを組むことになる捕手の直松、そして内野手の本間立彦である。二人とも地元では名前を知られた選手だった。川相が来ることを監督から聞き、岡山南を選んだのだという。川相の選ぶ高校は甲子園出場の可能性が高くなると、近隣の野球関係者が川相の動向を気にしていたことを後から知った。
川相は高校一年生夏の県大会からベンチ入りしている。一年生でメンバーに入ったのは、川相ともう一人の投手、徳永だけだった。
大会前、地元紙『山陽新聞』のチーム紹介にはこう書かれている。
〈例年に比べると小粒だが、粘っこさが今年の特徴。下級生の投手陣を盛り立てようとチームワークは抜群。昨秋来、試合ごとに力をつけてきた。(中略)投手陣は野崎学を中心に川相、徳永と将来性豊かな陣容。野崎学は経験を積むにつれて力みが消え、カーブを有効に使い打たせてとる投球が出来だした。川相は速球、大型左腕・徳永は長身を利した角度ある直球が武器〉(一九八〇年七月一○日)
ところが、大会初日、第一試合で和気閑谷に一対二で敗戦。最初の夏はあっけなく終わった。
川相の出番はなかった。
「まあまあいいメンバーが揃っていて、甲子園に行けるぐらいの力はあったんですよ」
試合の記憶は全くない。ただ、炎天下の中で厳しい練習がすぐに始まるのだと思ったことだけを覚えている。
「三年生がいなくなるので、自分の中で何か変えなきゃいけないっていう気持ちがあったんです。じゃあ、ランニングで学校まで通おうと」
それまでは自宅から高校までの五キロの距離を自転車で通っていた。毎日走っていくという川相の決意を聞いた先輩たちは「夏の練習をやりながら走るなんて、絶対に続かない」と鼻で笑ったという。
「親父が学校に近い会社で働いていたんです。行きは荷物を校門のところに置いてくれました。帰りは近くに住んでいた同級生に荷物を持ってもらう。そいつの自転車の後をぼくが追いかけていたんです」
それから卒業まで、川相は高校までの往復を走り続けることになった。