川相昌弘、ドラフト4位の肖像#5――「びっくりしましたね。まさかの巨人だって」
ドラフト四位指名―ドラヨンに結果を残している選手が多い。ドラフト一位指名は、その時点で同年代の野球少年の最前列にいると認められたことになる。その意味で、ドラヨンは、二列目以降の男たちとも言える。そんな“ドラヨン”で入団した野球選手を追った10/16発売の新刊「ドラヨン」から一部抜粋で公開する。
2019/10/18
田崎健太
スカウトが興味を持っているのは、四番を打つ本間だろう
「試合が負けたときに思ったのは、次、どっかで(野球を)やりたいということ。次のステップで見返してやるんだって気持ちになりましたね」
この時点では〝次のステップ〞の中にプロ野球選手になるというのは入っていなかった。プロ野球球団のスカウトが視察に来ているという話は耳にしていた。
「そのときの監督さんや部長さんは、スカウトが来ていることをぼくらには伝えなかった。隠して隠して、隠し通すという、昔の高校野球の指導者でした」
彼らが興味を持っているのは、四番を打つ本間だろうと川相は思い込んでいた。
「大学と社会人(野球)から誘いがありました。ただ、岡山南から大学へ行って野球をやったという人が少なかったんです。また一年生になって(上級生からの)説教を食らうのは嫌だなっていう気持ちもありました。それだったらお金を貰いながら野球をやるのがいいかなと。社会人からの話は五つ以上来てました」
その中から選んだのは三菱重工神戸だった。
「神戸ならば岡山にも近いし、監督さんも非常に温厚でいい方でした。面接を受けて、練習場とか寮を見学させてもらいました。ピッチャーをやりながら打つ方も頑張れ、と言われてやる気満々だったんですよ」
内定の際、一つ条件を付けることになった。ドラフトで指名されたときは、プロ野球球団を選ぶかもしれないというものだった。
ドラフト会議が近くなり、川相によると「一○球団ぐらい」のスカウトが挨拶に来ていたのだ。
「でもなんか現実的ではなかったですね。プロ野球選手になることは憧れでしたけど、本当に自分がいつもテレビで観ているあの人たちと一緒にできるなんて思えなかった」
舞い上がっていたのはかつてプロ野球選手になりたかった、父親の禎一だった。
「自分がドラフトされるんじゃないか、ぐらいでしたよ。自分の息子を獲るためにプロのスカウトが挨拶に来るなんて想像していなかったですから」