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川相昌弘、ドラフト4位の肖像#5――「びっくりしましたね。まさかの巨人だって」

ドラフト四位指名―ドラヨンに結果を残している選手が多い。ドラフト一位指名は、その時点で同年代の野球少年の最前列にいると認められたことになる。その意味で、ドラヨンは、二列目以降の男たちとも言える。そんな“ドラヨン”で入団した野球選手を追った10/16発売の新刊「ドラヨン」から一部抜粋で公開する。

2019/10/18

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田崎健太



〈外部からサワラ一本のプレゼントが届いたり〉

 翌日の『山陽新聞』には学生服を着た川相と本間が笑顔で握手している写真が掲載されている。
 
〈プロ志望の本間は入団の方向へ。川相はしばらく考えて結論を出すことになったが、高く評価された指名だけにさすがにうれしそう。県内の高校で二人同時に指名されたのは珍しく、校内も喜びに包まれている。(中略)クラスメートから赤飯のおにぎりや、外部からサワラ一本のプレゼントが届いたり〉(一九八二年一一月二六日)
  
 ジャイアンツに入るかどうか悩みましたか、と訊ねると、もちろん悩みましたよと答えた後、笑顔でこう続けた。
 
「人生で夢だと思っていたことが本当に起こるなんて、なかなかないじゃないですか。もうありがたく受け入れるしかない。プロでやっていけるかどうかについては不安だらけでしたけど」
 
 背番号は六○番、内野手として入団することになった。背番号は気がついたときには決まってたという。
 

 
 しばらくしてからジャイアンツのスカウトだった山下哲治から内野手としての適性を試していたことを教えられた。
 
 高校三年生の夏の県大会の後、川相は後輩の練習を手伝っていた。そのとき監督から遊撃手の場所でノックを受けるように指示されたことがあった。
 
 川相が内野を守るのは小学生時代のソフトボール以来だった。元々フィールディングには自信があった。ぎりぎりの所に飛んだ打球をグローブに入れる感触が気持ち良かった。山下が川相に内野手の守備練習させてくれないかと監督へ頼んでいたのだ。
 

田崎健太 たざき・けんた
1968年3月13日、京都市生まれ。ノンフィクション作家。
早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』、『ドライチ』『ドラガイ』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)
『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。
 

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