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「俺はおまえを認めない」落合監督のゲキで達した、和田一浩の2000安打

11日、ロッテ戦に先発出場した中日・和田一浩が通算2000安打を達成した。遅咲きで輝き続けた和田を象徴するように、史上45人目、最年長で達成した記録となった。

2015/06/19

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打撃センスはプロでも一流

 常勝チームへの復活を目指す中日ドラゴンズは、セパ交流戦も7勝10敗1引き分けと負け越し。5つの借金を抱えて通常のリーグ戦に戻るが、上位の巨人や横浜DeNAがもたついたことにより、まだ首位の巨人と3.5ゲーム差と希望を持てる位置にいる。数字の面からここまでの戦いを振り返れば、まずまずということになるのだが、得点源となってきたドミニカンや亀澤恭平、福田永将らがひと頃の勢いを失い、先発ローテーションを守る山井大介やラウル・バルデスの勝ち星も今ひとつ伸びない。
 
 そうして大きな不安を抱える中で、5月26日に一軍へ合流した和田一浩が、6月11日の千葉ロッテ戦で通算2000安打を達成し、ポイントゲッターとして機能しているのは明るい材料だ。
 
 和田は42歳11か月と最年長で2000安打に到達したが、20代でマークした安打は僅か149本で、規定打席を初めてクリアしたのが30歳だった2002年と球史に残る遅咲き。和田本人の「プロ入りした頃は想像もできなかった数字。そういう意味では、よくここまで来られたと思う」という感想は本音だろう。では、和田はなぜここまでの実績を残せたのか。東北福祉大でともにクリーンアップを打ち、のちに日本生命でも活躍した下野敦司さんはこう話す。
 
「僕らが入学した時は、齋藤 隆さん、金本知憲さん、浜名千広さんら4年生5人がプロ入りして大学日本一にも輝いた。東北福祉大の中でも黄金時代と呼べる時期でした。その中、僕らの学年で和田のバッティングは群を抜いていましたね。ただ、捕手としてはどうだったかなぁ(笑)。強いプロ志望でしたがドラフト指名はなく、神戸製鋼へ入社した。僕が入社した日本生命とは関西同士だったので、社会人時代もよく話をしました」
 
 1997年にドラフト4位で西武へ入団し、プロでプレーするという目標は叶えた。だが、球界を代表する伊東勤が健在で、髙木大成も後釜を狙っている捕手でレギュラーになるのは容易ではなかった。2年目からは外野にも取り組むが、なかなか出場機会は増えない。下野さんは当時をこう振り返る。
 
「捕手陣の層も厚かったし、和田がレギュラーになるには外野手しかないだろうとは思っていました。当時、西武も日本生命も高知県で春のキャンプをしていて、和田と食事をしたことがありました。そこに打撃コーチの土井正博さんがいらして『こいつは1億円プレーヤーになるか、今年クビになるかだ』と仰ったんです。バッティングに関しては、プロでも一流になれるものを持っているんだと思いました」

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