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「俺はおまえを認めない」落合監督のゲキで達した、和田一浩の2000安打

11日、ロッテ戦に先発出場した中日・和田一浩が通算2000安打を達成した。遅咲きで輝き続けた和田を象徴するように、史上45人目、最年長で達成した記録となった。

2015/06/19

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2000安打達成で見据える先

 2001年に外野手として出場機会を増やすと、翌2002年に監督に就任した伊原春樹は、徹底して外野守備を鍛えてレギュラーに据える。和田もその期待に応えてリーグ優勝に貢献。ここからスラッガーとしての道を歩み始める。
 
 第2のターニング・ポイントは、2008年にフリー・エージェント権を行使して中日へ移籍したことだ。すでに首位打者も手にしていた36歳のベテランに、落合博満監督は厳しく接した。
 
「和田は腰痛持ちで、フル出場したことがなかった。でも、うちに来たら休ませないよ、と。そのためには、腰に負担のかからない打撃フォームを作り上げようと取り組んだ」
 
 やればできるものである。2009年、2010年と全144試合に出場。自己最高のシーズン171安打をマークするなどコンスタントに打ち続けると、想像もしていなかった『2000』という数字が視野に入ってきた。偉業を成し遂げた数日後、下野さんら大学時代のチームメイトが仙台で和田を囲んだ。
 
「厳しかったけれど、落合監督の下でもう一度鍛え直したからこそ、ここに辿り着けたと言っていました。僕らの同期でユニフォームを着ているのは和田だけ。50歳まで頑張れよと言ったら、『そんなの無理や』って笑っていました。でも、1年でも長くプレーしてほしいですね」
 
 落合監督は、常に和田にこう言っていたという。
 
「俺はおまえを認めない。悔しかったら、俺と同じ45歳までやってみろ」
 
 偉業を花道に、集大成にと力を振り絞るのか。あるいは、落合の言葉を胸に遥か先を見据えるのか。いずれにしても、苦しみ、もがく若い戦力が和田の姿を見て奮い立つのは間違いない。そうして和田が触媒になれば、中日はまだまだ化学変化を起こして上昇できるはずだ。
 
 
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