衰えぬ探求心。故障を乗り越えて中継ぎのエースへ。カープ・横山竜士の「真っ向勝負」で挑んだプロ野球人生
カープの中継ぎとして活躍した横山竜士が先日、今季限りの引退を発表した。次世代エースとして期待された横山は、99年にルーズショルダーを発症。しかし、故障を乗り越えると中継ぎのエースとして活躍、苦しいチームの投手陣を支えた。そんな横山のプロ野球人生は投球スタイル同様、まさに「真っ向勝負」だった。
2014/10/03
ケガをする前よりも、もっといいパフォーマンスを見せる! 横山の決意
引退会見での言葉が強烈な印象を残した。
「ケガをする前よりもっといいパフォーマンスができるようにと、高い気持ちを持って治療をしてきました」。
この心意気があったからこそのプロ20年である。2000年も一軍での登板は3試合に終わったが、燃える気持ちは変わらなかった。「真剣に肩のトレーニングをするようになりました。それまでもトレーナーの下でやってはいましたが、自主性がなく、どこかに甘えがあったと思います」。
自らの体への探求心、地道なトレーニングを続ける姿は球団スタッフも舌を巻いた。横山は故障を乗り越え、進化を遂げていった。
チームの要求にも応えてきた。2006年監督に就任したマーティー・ブラウンが彼に求めたのは「安定感」だった。無駄な球、投げミス、フォアボールを減らす。これが指揮官のリクエストであった。
この頃から、横山の投球に関するコメントにも変化が表れた。
「低めに集めて少ない球数でアウトを取る」
「1試合完璧なピッチングをすることより、毎日毎日、一定以上の投球をすることが大事」
取り組みは実を結び、2007年は60試合、2009年には最多の69試合に登板し、カープの勝利の方程式を担った。
ベテランの域にはいっても探求心は衰えなかった。ボールの出どころを見づらくする工夫、チェンジアップの導入。いずれも、ここ数年の話である。
カープ一筋20年、リーグ優勝は果たせなかった。しかし、真っ向勝負の生き様は、我々に生きる勇気を与えてくれた。