原巨人の象徴・山口鉄也 不調のセットアッパーの逆襲なるか
今季の巨人の不調、低迷する打線とは別に原政権を支えてきた不動のセットアッパー・山口鉄也の不調がある。
2015/06/28
育成からの華麗なるステップアップ
今でこそ巨人ブルペン陣の大黒柱として君臨する山口だが、その経歴は異色であり、異端だ。
ダイヤモンドバックス傘下のマイナーリーグで数年間を過ごしたものの、上のリーグには昇格できず、帰国後に横浜と楽天のテストを受けるも不合格。
最終的に記念受験的に受けた巨人のテストに引っ掛かり、05年の育成ドラフトで指名される。
その後の活躍はご存知の通りだ。07年に支配下選手登録されると、08年に中継ぎの柱として11勝を上げ新人王に輝く。
09年WBC日本代表にも選出され、彼の経歴には常に「育成出身選手初」という肩書がついてまわった。
推定240万円からスタートした年俸は、なんと3億2000万円にまで到達。
まさに球界の成り上がり伝説である。
一見、色白の気弱そうな青年に見られがちだが、野球となると人が変わる。
06年オフに支配下選手登録が見送られると、山口は当時の清武球団代表に直接電話して「納得がいかない」と執拗に食い下がったのだ。
23歳のイチ育成選手が球団代表に電話するという普通じゃない行動。
思えば、これまで山口を突き動かしていたのはその手の「危機感」だったはずだ。
学生時代は甲子園や六大学とは無縁で、アメリカ時代もメジャーリーグにはかすりもしなかった。
日本球界に入っても、ドラフト組とは違い育成枠からの叩き上げ。
「ここで結果を残せなきゃ野球人生は終わり」
そんなシビアな環境で投げ続けたら、気が付けば球界最高のセットアッパーの地位まで上り詰めていた。