「あのケガがあったから今があります」。幻の天才打者・朝山東洋の仕事――カープ出身の指導者たちが語る「カープの育成術」#4
V奪還を目指し新体制となった広島東洋カープ。佐々岡真司新監督をはじめ、カープ出身の指導者たちが語った一流選手を育てる「カープの育成術」とは。カープ戦実況歴20年、長年カープを見てきた中国放送(RCC)アナウンサー・坂上俊次氏の新刊『「育てて勝つ」はカープの流儀』から一部抜粋で公開。
2020/03/10
いわゆる天才打者だった
今も両ヒザに不安を抱えている。朝、ベッドから起き上がるにも痛みを伴う。ゆっくり起き上がると浴室に向かい、ヒザを温めて動ける状態にもっていく。
「レントゲンを撮ると、実年齢を遥かに上回るヒザの状態だと言われます。いつかは人工関節かもしれませんが、今は、まだまだ頑張りますよ」
久留米が生んだ九州男児はどこまでも快活だ。もし、あのヒザの故障がなければ、現役生活が10年で終わるような選手ではない。キャリア通算49安打で終わったような選手でもない。いわゆる天才打者だった。その片鱗は、筆者も何度となく目にしてきた。その印象度の高い名前とともに、1990年代のカープにエールを送ったものなら、何度も夢を抱いたスラッガーだった。
朝山東洋、43歳にして名伯楽の呼び名がふさわしい仕事ぶりである。リーグ3連覇の間、どれだけチームを救ったであろうか。打者には好不調の波がつきものだ。そんな中、二軍打撃コーチとして最短期間で選手を再調整させチームに貢献した。一方で、若手選手はもちろん、サビエル・バティスタやアレハンドロ・メヒアを鍛え上げ、日本野球に適応させてもきた。
「あのケガがあったから今があります。たくさん野球について考えることができました。引退が早かっただけに、多くの監督やコーチと仕事ができました。ここで、いろんなアプローチを学べたことが財産になったと思います」
天才打者と呼ばれた男は、苦難の道のりで野球道を極めてきた。その時間が、指導者としての引き出しにつながっている。