「審判のジャッジ」に異議を唱えて得することなど何もない【里崎智也の里ズバッ! #06】
今季から野球解説者として各方面で活躍する里崎智也氏が、その経験に裏打ちされた自身の「捕手論」を語る好評連載。第6回のテーマは、時に試合の趨勢を大きく左右することもある球審の判定について。国際舞台での経験も豊富な里崎氏が語る、捕手と球審の“いい距離感”とは!
2015/07/04
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人が判断する以上、誤差が生じるのは不可抗力
「いまのは絶対、入ってたやろ!」「あれがストライク? いや、ボールでしょ」
長くキャッチャーをやっていれば、ファンの方々と同じように、そう思う瞬間は何度もある。
だが、仮にそう思ったとしても、そこですぐさま球審にクレームをつけているようでは、キャッチャーとしては、まだまだ。プロならば、対戦相手のデータなどと同じように、事前情報のひとつとして、すべての球審のクセ、特徴をも頭に入れておいて然るべきだと、僕は思う。
なにしろ、ストライクゾーンとひと口に言っても、野球規則にはおおまかに言って「打者の胸元からひざ下」という、“目安”が書かれているだけ。それをもとに審判それぞれが、自分の裁量で判定を下しているのだから、ある人は高低に広くて、ある人は内に厳しく外に甘いといった、個人差が出てくるのは、むしろ当然。そこにイチイチ異議を唱えていてはキリがない。
しかも、人と人とがやっている以上、そこに面と向かって盾突いてみたところで、得することなどひとつもない。自分が「コレだ」と信念を持ってやっていることにダメ出しをされたら、誰だって腹が立つものだし、ならばなおのこと、自分の利益に反する判定をされたときこそ、客観的かつ冷静な判断をするのが、賢いキャッチャーというもの。何事も、願望と結果は違うのだ。
では、「いまのはどうかな?」と思ったときに、僕自身はどうしていたかというと──。
どんな場合でも、ひと言。「いっぱい?」と訊く。ただ、それだけ。もし僕がバッターボックスにいて「いまのがストライク?」と思ったときでも、訊くことはやはり同じである。
そこでもし「いっぱいだ」となれば、「ここまでは取るんやな」という認識ができるし、「もうちょっとあるよ」と言われれば、こちらの思うストライクゾーンを気持ち広くしていけばいい。
もちろん、そこには「もうそれ以上、取らないでよ」と暗にクギを刺している部分もあるにはあるが、ゾーンの線引きをお互いが確認できればそれでいいわけだから、余計なことは言わずに「いっぱい?」とだけ訊けば、それで事は足りるのだ。
仮にその球審の特徴を事前につかんでいなかったとしても、その都度、「いっぱい?」と訊いていくことで、クセを把握することはできるし、そのクセが「アウトコースに広い」のであれば、そこからはアウトコースを中心に配球も組み立てていけばいい。
もしそれがわかっていながら、なおもインコースに固執するキャッチャーがいたとしたら、それはもう愚の骨頂と言うしかない。