NPB歴代の首位打者は? 「打率」は試合数も大きく左右、4割打者の登場なるか<1930年代>【プロ野球史を振り返る】
2020/05/04
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1938春
中島治康(東京巨人)
打率.345(35試合145打数50安打)
自身初の首位打者を獲得した中島。全35試合に出場し、リーグ最多の50安打をマークした。一方で本塁打は1本にとどまったが、二塁打は7本放っている。
1938秋
中島治康(東京巨人)
打率.361(38試合155打数56安打)
2季連続で首位打者に輝いた中島。最多本塁打(10本)、最多打点(38打点)の三冠を達成し、最優秀選手にも選ばれた。また、三振数6も特筆すべき数字と言えるだろう。
1939
川上哲治(東京巨人)
打率.338(94試合343打数116安打)
96試合制となった1939年。後に「打撃の神様」と呼ばれる川上哲治が開花した年でもある。川上は、116安打をマークして、首位打者と打点王(75打点)を獲得。また、この年は投手としても18試合に登板し、102回2/3を投げて防御率2.36の好成績を残している。
1940年代→
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