阿部にバントのサインを出した巨人・原監督。野村監督も驚愕、どの監督よりも強かった『勝利へのこだわり』
野球界における参謀の存在意義 “名将の思考”と“今の時代に求められる指導者像”を記した橋上秀樹氏最新刊『常勝チームを作る、最強ミーティング』から原辰徳さんとのエピソードを第2章「3人の常勝監督が参謀に求めたもの」から発売に先駆けて公開です。
2020/05/11
Getty Images
勝負どころを伝える側面も
さらに言えば、たとえばチャンスの場面で、広島の鈴木誠也に送りバントのサインを出せるだろうか? あるいは、ヤクルトの山田哲人に送りバントのサインを出せるだろうか? 仮にあなたが監督だとして、送りバントとヒッティングとどちらの選択をしたほうが得点を奪えるかと聞かれれば、普通ならば後者を選ぶだろう。
けれども巨人では、阿部が送りバントを決めたように、そういった選択をしないときもある。よく原監督が「個人軍より巨人軍」というフレーズを口にしているが、これは言葉のとおり、個人プレーよりもチームプレーを重要視している証拠なのだ。
そのうえチームの中心選手に送りバントのサインを出すということは、「いいか、この場面が今日の試合の勝負どころになるぞ」と、暗黙のうちに選手全員に伝えているという側面もある。言葉に表すよりも、作戦で広く知らせるというやり方によって、選手自身がここ一番の集中力を発揮させる。ベンチから「覚悟を決めて打席に立つんだ」とメッセージを送っているわけだ。
さらに原監督は、普段から選手とコミュニケーションをとっている。だからこそ、いざという場面でも意思疎通が図れていたのだ。そのうえで選手に対して威厳を保てるというのは、野村さんとの大きな違いである。
昨シーズンも、優勝のかかったシーズン終盤の試合で、アレックス・ゲレーロが送りバントを決めたシーンがあった。ゲレーロはプライドが高く、ホームランへのこだわりが人一倍強い選手だと聞いていたが、送りバントを決めた直後、憤慨するどころか、笑顔で「成功させたよ!」とベンチ内で喜んでいたと聞く。勝つために必要な策を、ゲレーロ自身も理解していたからこそ、自己犠牲の精神を働かせることができたのだ。
巨人は他のチーム以上に勝つことが求められている。その一端を阿部の送りバント、さらには成功させた後に発した野村さんの言葉から思い知らされたような気がしている。
橋上秀樹(はしがみ・ひでき)
1965年、千葉県船橋市出身。安田学園から1983年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。野村克也氏がヤクルトに就任して以降は、外野手として一軍に定着。92年、93年、95年のヤクルトのセ・リーグ優勝に貢献した。その後、97年に日本ハム、2000年に阪神と渡り歩きこの年限りで引退。2005年に新設された東北楽天の二軍守備走塁コーチに就任し、シーズン途中からは一軍外野守備コーチに昇格。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。2011年にはBCリーグの新潟の監督に就任。チーム初となるチャンピオンシリーズに導いたものの、この年限りで退団。12年から巨人の一軍戦略コーチに就任。巨人の3連覇に貢献した。また、13年3月に開催された第3回WBCでは戦略コーチを務めた。巨人退団後は15年から楽天の一軍ヘッドコーチ、16年からは西武の一軍野手総合コーチ、一軍作戦コーチを務め、18年の西武のパ・リーグ優勝に大きく貢献した。19年は現役を過ごしたヤクルトの二軍野手総合コーチを務めた。2020年より新潟の総合コーチを務める。10年に出版した著書『野村の「監督ミーティング」』(日本文芸社)は、12万部を超えるヒット作となった。
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