無敗の田中将大を攻略。名参謀が明かす、日本シリーズで巨人が徹底した“捨て身”の戦法
野球界における参謀の存在意義 “名将の思考”と“今の時代に求められる指導者像”を記した橋上秀樹氏最新刊『常勝チームを作る、最強ミーティング』から原辰徳さんとのエピソードを第4章「戦略が必要な選手、必要のない選手の違いとは」から一部抜粋で公開です。
2020/05/22
Getty Images
田中攻略もシリーズに敗れた巨人
そうして各自が狙うべきボールを定め、田中との勝負に挑んだ。その結果、第2戦では敗れたものの、第6戦では高橋が決勝タイムリーを打ち、4対2で勝利。打線も安打を放ち、田中対策は功を奏した。
試合終了後、巨人のベンチ内は、まるで日本一になったようなお祭り騒ぎだった。パ・リーグのどのチームも、田中に対して土をつけることができなかったが、それを巨人が果たしたからだ。
ただし、この勝利で巨人の選手たちは満足してしまった感があった。本来であれば、あとひとつ勝たなければ、日本一にはなれないはずなのに、肝心の第7戦は楽天ペースで試合が進み、最終回はまさかの田中のリリーフ登板で抑えられ、楽天に悲願の日本一を決められてしまった。
たしかに巨人打線は田中を攻略した。この点がみごとだったのは間違いない。だが、肝心の「日本一になる」という目標を、最後の最後に私も含めたみんながどこかに置き忘れてしまった。それが巨人の日本シリーズの敗因であったことも、また事実なのである。
橋上秀樹(はしがみ・ひでき)
1965年、千葉県船橋市出身。安田学園から1983年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。野村克也氏がヤクルトに就任して以降は、外野手として一軍に定着。92年、93年、95年のヤクルトのセ・リーグ優勝に貢献した。その後、97年に日本ハム、2000年に阪神と渡り歩きこの年限りで引退。2005年に新設された東北楽天の二軍守備走塁コーチに就任し、シーズン途中からは一軍外野守備コーチに昇格。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。2011年にはBCリーグの新潟の監督に就任。チーム初となるチャンピオンシリーズに導いたものの、この年限りで退団。12年から巨人の一軍戦略コーチに就任。巨人の3連覇に貢献した。また、13年3月に開催された第3回WBCでは戦略コーチを務めた。巨人退団後は15年から楽天の一軍ヘッドコーチ、16年からは西武の一軍野手総合コーチ、一軍作戦コーチを務め、18年の西武のパ・リーグ優勝に大きく貢献した。19年は現役を過ごしたヤクルトの二軍野手総合コーチを務めた。2020年より新潟の総合コーチを務める。10年に出版した著書『野村の「監督ミーティング」』(日本文芸社)は、12万部を超えるヒット作となった。
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