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東京ヤクルトスワローズ 、歴代助っ人外国人選手ランキングトップ5<野手編>

2022/12/02

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産経新聞社



第5位 ジャック・ハウエル

右投左打
内野手
在籍期間 3年(1992〜1994)
成績 339試合、打率293、336安打、86本塁打、231打点、10盗塁
 
 「5番・サード」を主戦場としたハウエル。勝負強さが光る左の大砲だ。
 
 アメリカ合衆国出身、身長181センチ、体重91キロ。アリゾナ大から1983年アマチュアFAでカリフォルニア・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス)に入団。85年にメジャーデビューを果たすと、87年にはMLBでのキャリアハイとなる23本塁打をマークするなど、持ち前の長打力を発揮した。
 
 87年から3年連続2桁本塁打を記録し、うち2度が20発以上とパワーに定評があったが、90、91年は出場機会が減り両年とも8本塁打に留まる。91年途中にサンディエゴ・パドレスに移籍するなど、環境の変化もあった。
 
 再起をかけて1992年シーズンからヤクルトに加入。前半戦こそ日本の野球に苦戦し、成績も上がってこなかったが、後半戦からはその打棒を爆発させた。最終的に打率.331、38本塁打をマークし、首位打者、本塁打王と2つのタイトルを獲得。シーズンMVPにも輝き、チームのリーグ優勝にも大きく貢献した。
 
 翌1993年もその勝負強さは健在で、「シーズンサヨナラ本塁打」の日本記録を樹立(5本)。この記録は2020年終了時点ではまだ破られていない。ハウエルの活躍もあり、同年にチームはリーグ2連覇、そして悲願の日本一を達成した。
 

 
 ヤクルトでの最終年となった94年は、20発はクリアしたものの、最初の2年間で3割前後を誇っていた高いアベレージが急落。打率.251とNPBでのキャリアワーストとなる数字で、退団を余儀なくされた。翌95年は読売ジャイアンツでプレー。その後メジャーに復帰し、エンゼルス、ヒューストン・アストロズなどで試合出場を記録している。
 
◇ハウエルの1993年シーズンサヨナラ本塁打
5月15日中日戦(福島あづま)9回無死、上原晃投手から
5月28日横浜戦(千葉マリン)13回無死、島田直也投手から
6月22日広島戦(神宮)10回無死、佐々岡真司投手から
7月4日巨人戦(神宮)9回2死、橋本清投手から
7月14日横浜戦(神宮)11回1死、小桧山雅仁投手から

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