セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1946-47年編~
2020/05/19
Getty Images, DELTA・道作
1946年のNPB
チーム 勝 敗 分 得点 失点 得失点差
グレートリング 65 38 2 567 413 154
巨人 64 39 2 499 356 143
阪神 59 46 0 549 430 119
阪急 51 52 2 439 439 0
セネタース 47 58 0 417 498 -81
ゴールドスター 43 60 2 311 484 -173
パシフィック 42 60 3 377 433 -56
中部日本 42 60 3 480 586 -106
終戦から半年と少し、早くもNPBのリーグ戦が復活を見た。復員も間に合っていたとは言い難く、試合を挙行するのがやっとの陣容を揃えられた程度であったが、興業的なライバルも少なくGHQの後押しもあって国民的娯楽へと育ってゆく。今から振り返ると、これだけ早い復活は信じがたいものがある。戦地で失われた才能は数多く、水原茂など抑留でシベリアに閉じ込められ、帰国がかなわない選手もいたのだ。
まだ1リーグ制であったこの年、セネタースの大下弘が驚愕の20本塁打を放って明るい話題となったことはよく知られている。戦前は2ケタ本塁打がNPB全体で2度記録されただけであった。20本に隠れたが、飯島滋弥(セネタース)の12本塁打も大下がいなければNPB新記録。ほかに小鶴誠(中部日本)、川上哲治(巨人)が前年までのNPB最多タイの10本塁打を記録するなど、終戦は打者の意識までに影響をもたらしたようである。
このように大下の20本塁打が圧倒的に目立ったが、このシーズン最も高いwRAA35.1を記録した、つまり最も恐ろしい打者だったのは同じセネタースの飯島であった。wRAA、wOBA(※3)など、総合打撃指標ですべてリーグをリードしたほか、出塁率も.426で首位。レジェンドとしてはあまり語られることのない飯島ではあるが、この6年後にも総合打撃指標でリーグをリードするなど、終戦後の時代をリードする強打者の1人であった。
wOBA.400で2位の藤村富美男(阪神)は本塁打以外の長打が多かった。424打席で31本の二塁打、12本の三塁打をマークして合計が43本。二・三塁打の数では次に多い青田昇(阪急)、森下重好(パシフィック)に10本の差をつけており、後年の本塁打王の片鱗を見せている。
私は以前、打撃成績から一般的に期待できる打点に比べ、どれほど余剰をつくったかという分析を行った。ここで歴代最高を記録したのが147打点を記録した2005年の今岡誠(当時阪神)であるが、この年の山本一人(グレートリング)は4本塁打ながら95打点を記録しており、NPB歴代トップ3に数えられる異常な数値となっている。
翌年腸チフスに倒れ命を落とす黒沢俊夫(巨人)もwRAA19.6で7位にランクイン。読売の欠番である4番はこの人の番号だ。
なおベスト10のうち、戦前からの活躍組が6人、新たに加入した46年組が4人と、新たに加入した選手が多いのは再開のシーズンらしくもある。プロ野球は戦後に社会的地位を大きく向上させた。戦前のままであったならばこの4人のうち何人が参加しただろうか?
規定打席に達しなかった圏外選手の中ではやはり川上のスタッツが光る。年度途中での復帰にもかかわらず10本の本塁打を記録。wOBAは.393と規定到達打者3位相当の数値を記録した。