NPB、歴代助っ人外国人選手ランキング<番外編>
2021/12/20
Getty Images
与那嶺要(ウォーリー与那嶺)
左投左打
外野手・内野手
現役年数 12年(1951〜1962)
所属球団 読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズ
通算成績 1219試合、打率.311、1337安打、82本塁打、482打点、163盗塁
俊足巧打を誇り、アグレッシブなプレーが持ち味の与那嶺。
1番・3番で起用されることが多く、キャリア序盤は主にレフトとセンター。晩年はファーストも守った。
1951年途中に巨人へ入団し、持ち味の俊足を活かしたプレーを見せた。同年は54試合の出場ながら打率.354、26盗塁をマークした。
翌1952年からはレギュラーに定着し、川上哲治らとともにチームを牽引した。特に1957年には打率.343、160安打で首位打者、シーズンMVPを獲得する活躍を見せた。在籍10年間でベストナイン7回、首位打者、最多出塁数(現最高出塁率)3回、シーズンMVP1回と数々のタイトルに輝いた。
巨人退団後は中日で2年間プレーし、引退後の1963年からは同球団の監督を務めるなど、指導者としても日本球界に尽力。その功績から1994年に殿堂入りも果たした。
その他にも2度のノーヒットノーランを達成し、通算65勝を挙げた亀田忠や、優れたインサイドワークと強肩を誇り、主に捕手として活躍した田中義雄(カイザー田中)らも強い存在感を放った。
NPBの長い歴史の中で、各球団の欠かせない戦力となっている助っ人外国人選手。外国人枠のない時代を彩った彼らの存在が、制度の礎を築いたといえるだろう。
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