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セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1948-49年編~

2020/05/25

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Getty Images, DELTA・道作



1948年のNPB

チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
南海  140 .640 592 395  197
読売  140 .601 555 416  139
大阪  140 .515 542 499  43
阪急  140 .493 500 487  13
急映  140 .457 445 546  -101
大陽  140 .452 437 586  -149
金星  140 .451 444 485  -41
中日  140 .385 434 535  -101
 

 
 1946-47年に大下弘(当時セネタース・東急)が見せた、三振が多い一方長打も連発する打撃は、少しずつリーグ全体の打撃スタイルにも影響を与えていたようだ。戦前は全体的に長打の頻度が少なく、打者間で長打による得点力の差がつきづらい状況にあった。しかしこの頃はリーグ全体で長打の頻度が増加。長打を打てるか打てないかが打者の優劣を分ける、より重要な要素に変化してきている。

 1948年は1946-47年における大下に対抗するように、川上哲治、青田昇の読売勢が新記録となる25本塁打を記録。このうち青田はヒット狙いのバントで首位打者を確定させるなどの伝説を残し、打率.306、25本塁打と旧来の指標では最も傑出した結果を残している。
 
 ところがセイバーメトリクスの総合打撃指標で見ると景色は一変する。結果的にwRAAの1位は打率でわずかに青田に劣っただけの川上。2位以降に差のない状態で多くの選手が同じような数字を記録した事情もあるが、青田は5位になってようやく登場する。出塁率が.332にとどまったことが致命的だったようだ。
 
 2位は、今となってはほとんどの人が名前すら聞いたことがないであろう笠原和夫(南海)。40本もの二塁打を放ったことが大きく影響している。この笠原が典型だが、南海は1リーグ時代から続く黄金期(46~67年頃)には打率・本塁打・打点の打撃3部門以外の指標で攻撃力が優秀な選手を確保していた。3部門で見ると傑出していたわけではない当時の南海が高い得点力を備えていたのはそのあたりに要因があったようだ。球団がこのことを意識していたかは不明だが、選手年俸を抑える意味で効果があったかもしれない。
 
 トップ10圏外で取り上げたいのは何といっても新人の別当薫(大阪)である。負傷離脱により規定打席にこそ到達しなかったものの、1打席あたりの打撃による得点への貢献を示すwOBA(※3)はトップの川上に1毛劣るだけの.389。打球にうまく角度をつけることができなかったのか長打の総数がやや劣るもののリーグ屈指のパフォーマンスを見せた。多くの打席をこなすことで数字が伸びていくwRAAでは規定打席未達の別当は不利なはずだが、全体6位の藤村富美男と同等の31.0という記録を残している。

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