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ソフトバンク・工藤公康監督の現役時代は?――プロ野球12球団監督の選手成績を振り返る

2020/06/10

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工藤公康の現役時代

 今シーズンで就任6年目を迎えるソフトバンク・工藤公康氏。
 過去5年は全て2位以上でシーズンを終えており、リーグ優勝2回、日本一4回の実績を誇る。今シーズンは3年ぶりのリーグ優勝と、4年連続日本一を目指す。
 
 現役時代の工藤は、名古屋電気高(現愛工大名電高)から1981年ドラフト6位で西武に入団。高卒にもかかわらず、初年度からリリーフとして27試合(28回2/3)に登板し、1勝、防御率3.41の成績を残した。
 
 1985年は先発に挑戦。リリーフ登板も含めて34試合(137回)に登板し、8勝、防御率2,76で最優秀防御率のタイトルを獲得した。翌1986年には初の2桁勝利となる11勝を挙げ、チームの日本一に大きく貢献。1987年には27試合(223回2/3)、15勝、防御率2.41をマークし、2度目の最優秀防御率、最高勝率、ベストナインに輝いた。
 
 1989年からは不調やけがが重なり、成績を落としたが、1991年に25試合(175回1/3)に登板し、自己最多となる16勝、防御率2.82をマークし、2度目の最高勝率を獲得。復調を遂げた。
 
 以降は先発としてエース格の活躍を続けた工藤。特に1993年は24試合(170回)に登板し、15勝、防御率2.06で最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン、シーズンMVPにも輝いた。
 
 1994年オフにはダイエー(現ソフトバンク)へFA移籍。移籍初年度からチームトップの12勝を挙げた。翌1996年には29試合(202回2/3)に登板し、8勝に終わったが、178奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得した。1999年には26試合(196回1/3)に登板し、 11勝、196奪三振、防御率2.38をマークする活躍で、最優秀防御率と最多奪三振、シーズンMVPを獲得。チームを福岡移転後初のリーグ優勝、日本一に導いた。
 
 同年オフに巨人へ2度目のFA移籍。移籍初年度は21試合(136回)に登板し、12勝、防御率3.11で最優秀投手(現最高勝率)を獲得し、チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。2002年は9勝を挙げ、再び日本一に貢献。2004年には通算200勝も達成した。以降も先発として活躍したが、2006年オフにFA移籍が決まった門倉健の人的補償で横浜(現DeNA)に移籍することとなった。
 
 横浜での移籍初年度は主に先発として7勝を挙げたが、不安定な投球から二軍行きも経験した。2009年途中からはリリーフに転向。同年は46試合(37回1/3)に登板し、2勝、10ホールドをマークしたが、オフに自由契約となった。
 
 2009年オフに16年ぶりに西武へ復帰したが、1年で自由契約となった。以降は現役続行を目指しトレーニングを重ねたが、2011年に引退を発表。実に52歳まで挑戦を続け、現役生活の幕を下ろした。

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