千葉ロッテ・井口資仁監督の現役時代は?――プロ野球12球団監督の選手成績を振り返る
2020/06/12
井口資仁の現役時代
今シーズンで就任3年目を迎えるロッテ・井口資仁氏。
過去2年はBクラスと悔しい結果に終わっており、昨オフには積極的な戦力補強が目立った。
現役時代の井口(2000年シーズンまで登録名は井口忠仁)は、青山学院大から1996年ドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)を逆指名し、入団。初年度から1軍で76試合に出場。翌1998年には遊撃手のレギュラーを獲得し、135試合に出場した。同年は下位打線を打つことが多かったが、持ち前の長打力を発揮し、打率.221ながら、21本塁打を記録。翌1999年にはダイエー初のリーグ優勝、日本一に貢献した。
二塁手へコンバートした2001年は、主に3番として140試合に出場し、打率.261、30本塁打、97打点、44盗塁を記録。盗塁王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞のタイトルを獲得した。同年は松中信彦、小久保裕紀、城島健司とともにパ・リーグ初の30本カルテットを結成。11月に開催されたIBAFワールドカップの日本代表にも選出された。
2003年には135試合に出場し、3割を大きく上回る打率.340、27本塁打、109打点、42盗塁を記録し、チームの日本一に大きく貢献。走攻守全てで球界トップレベルのプレーを見せ、2001年と同じく盗塁王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝いた。この年は松中、城島、ペドロ・バルデスとともに史上初の100打点カルテットを結成し、「ダイハード打線」の中心を担った。翌2004年にもベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得する活躍を見せ、オフにホワイトソックスへメジャー移籍を果たした。
MLBでは4年間プレー。初年度からレギュラーを獲得し、「2番・二塁」を主戦場とした。同年は135試合に出場し、チームバッティングに徹しながらも打率.278、15本塁打、71打点、15盗塁をマークし、チームの地区優勝に貢献。ポストシーズンでも活躍を見せ、ワールドチャンピオンに輝いた。翌2006年にはさらに成績を伸ばした井口。138試合に出場し、打率.281、18本塁打、67打点、11盗塁を記録した。
2007年にはけがの影響で不調に陥り、シーズン途中にフィリーズへ移籍した。翌2008年からはパドレスでプレーし、シーズン途中からはフィリーズに復帰。目まぐるしくチームが変わり、オフに自由契約となった。そして、同年オフにロッテへの移籍を決断し、日本球界に復帰することとなった。
ロッテでは、復帰初年度から二塁手のレギュラーとして活躍。ダイエー時代と比べ盗塁数は減少したが、勝負強い打撃が光った。翌2010年には主に3番二塁手として143試合に出場し、打率.294、17本塁打、73打点を記録。史上最大の下克上と呼ばれたリーグ3位からの日本一に大きく貢献した。
2013年途中からは一塁手にコンバートした。同年は135試合に出場し、日本球界復帰後最高となる打率.297、23本塁打、83打点と好成績を残し、日米通算2000安打も達成した。翌2014年はけがの影響で規定打席に届かず、以降は代打での起用が増えた。
2017年途中に現役引退を発表。引退試合では6番DHで出場し、2点ビハインドの9回裏ノーアウト1塁で起死回生の同点2ラン本塁打を放った。その後チームはサヨナラ勝ちを収め、自らの活躍で有終の美を飾った。