新人・広岡達朗が登場 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1954年編~
2020/06/09
Getty Images, DELTA・道作
1954年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
西鉄 140 .657 590 379 211
南海 140 .650 529 417 112
毎日 140 .581 550 467 83
近鉄 140 .540 530 473 57
阪急 140 .485 572 547 25
高橋 140 .387 440 594 -154
東映 140 .377 472 619 -147
大映 140 .319 402 589 -187
この年はベスト10に毎日の山内和弘(のちに山内一弘に改名)が登場する初めての年となった。前年の中西太(西鉄)同様に、wRAAランキングベスト10に初めて入った年にいきなりの1位となっている。山内は四球や二塁打・三塁打の多さが特徴的な打者だ。そのため打撃3部門だけを見るとそれほどの打者に見えず、過小評価を受ける原因となっている。ともあれ、このあとパ・リーグはしばらく中西と山内が交互にwRAAリーグ1位を取り合う展開が続くことになる。
それ以外では2位に入った大下弘(西鉄)がwRAA47.5を記録し、やや低迷した過去2年から復調。ラリー・レインズ(阪急)が打率.337で首位打者を獲得したほか、珍しい外国人捕手であるチャーリー・ルイス(毎日)が6位に入るなど、バラエティに富んだ顔ぶれが並んだ。wRAAトップ3の山内が22歳、中西が21歳とセ・リーグに比べ新旧交代が早く訪れたようだ。
西鉄はこの年悲願の初優勝を達成。2年後の1956-58年にかけて3連覇を達成するが、得点力で見た場合、この年と翌1955年がピークとなっている。
なお、このシーズンからパ・リーグに高橋ユニオンズが加わり8チーム制のリーグに変わっている。それに伴い当然低いレベルの選手の出場機会も増加することになる。単純計算で、6チーム制の時代であればレギュラーになれなかったはずの選手が、レギュラー全体の25%を占めることになる。
セイバーメトリクスにおいては、ある選手Aの価値を測る際、その選手が欠場した場合代わりに出場するであろう選手Bとの比較で評価を行う。この選手Bは控えレベルの選手とイメージしてもらえればよい。Bの選手が残すと想定される成績のことをセイバーメトリクスでは「リプレイスメント・レベル」と呼ぶ。
MLBにおけるセイバーメトリクスの研究によると、リプレイスメント・レベルの選手はリーグ平均の88%の攻撃力=wOBA(※3)をもっているとされている。ただこの年のように低いレベルの選手が増加すると、もともとレギュラークラスだった選手とそれ以外の選手の差は例年以上に広がってしまう。チームが増加したこの数年で「リーグ全体で各ポジション6番目までに出場の多い選手」と「それ以外の選手」で攻撃力の差を測ったところ、85%を切るのはもちろん、80%そこそこになるシーズンもあった。
このため平均のレベルも低下。平均との差を表すwRAAなどはリーグ6チーム制の時代と比較して、トップの選手で7点ほどゲタを履かせた状態になっている。単純にほかの年とwRAAを比較するのが適切なシーズンではない。またチーム数が多いため、規定打席到達者も47人と、記録的な数字であった。
ベスト10圏外のトピックとして取り上げたのは高橋ユニオンズのサル・レッカ捕手。ぴったり.200という低打率ながら23本塁打を放ち、その長打力もあってwRAAでは28位となる1.9を記録した。この年リーグで5人しかいない20本塁打到達組の1人でもある。そしてユニオンズの歴史上2ケタ本塁打に到達したのはこのレッカただ1人となった。