怪童・中西が圧倒 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1955年編~
2020/06/12
Getty Images, DELTA・道作
1955年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
南海 143 .707 606 445 161
西鉄 144 .643 663 471 192
毎日 142 .607 573 450 123
阪急 142 .571 589 462 127
近鉄 142 .429 510 584 -74
大映 141 .379 410 524 -114
東映 143 .364 424 568 -144
トンボ 141 .300 420 691 -271
中西太(西鉄)がwRAA63.9でリーグ首位を記録。山内和弘(毎日)から2年ぶりに首位を奪還したシーズンとなった。この年はパ・リーグ全体で20本塁打以上が3名のみ。その中で中西が記録した35本塁打は相当に突き抜けた数字である。わずかに打点1点差で三冠王を逸するなど旧来のスタッツで見ても圧倒的だ。しかしランキングに用いた総合評価wRAAでは中西63.9、山内60.9と予想外の僅差となっている。山内が四球など打撃3部門以外で好成績を残したこと、また中西に比べ36打席多く打席に立ったことが要因だ。
ほかには高卒1年目の榎本喜八(毎日)がwRAA44.0を記録。これは高卒1年目としては突出した成績とされる清原和博(西武)の1.5倍近い数字である。ただこれはリーグ8チーム制時代ゆえに低いレベルの選手が多く混ざり、平均の基準が下がっていたことが要因として大きい。44.0という数字は、通常のシーズンで同じ数字を記録するよりもやや過大な評価といえるだろう。
この年も西鉄勢がベスト10のうち4人を占め、攻撃力はチームの歴史の中でピークを迎えたが、ペナントは南海が奪還した。上位下位の戦力差が大きい年度のようで、優勝の南海は今でもNPB歴代最高記録として残る99勝を挙げている。西鉄は失点数が影響して90勝を挙げながら2位にとどまっている。ちなみに稲尾和久はこのオフに入団する。大活躍は翌1956年からとなる。
ベスト10圏外のトピックとしては、11位のチコ・バルボン(阪急)を挙げたい。wRAA15.4と、打撃成績自体飛び抜けているわけではないが、リードオフマンとして年間通じて活躍。最多安打タイの163安打、リーグ2位の49盗塁を記録。得点も105を記録して中西、山内らを抑えてこのシーズンの得点王となった。