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野村克也がベスト10初登場 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1957年編~

2020/06/18

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Getty Images, DELTA・道作



1957年のパ・リーグ

チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
西鉄  132 .648 546 370  176
南海  132 .595 551 424  127
毎日  132 .587 477 435  42
阪急  132 .561 474 409  65
東映  132 .436 371 451  -80
近鉄  132 .356 390 522  -132
大映  132 .318 377 575  -198
 

 
 この年のパ・リーグは前年から1チーム減り、7チームで行われた。現代であれば1リーグ7チーム以上へのエクスパンションは一つの選択肢としてありえるが、当時はこれだけのチーム数を維持することができず、結局この後最終的に6チームに落ち着くことになる。

 このシーズンは山内和弘(毎日)が2位以下に10点以上の差をつけるwRAA62.8を記録。圧倒的な力を示した。出塁率.428、長打率.621はともにリーグ首位。これは1951年大下弘(当時東急)以来のことである。ただ1951年は日米野球開催のため100試合そこそこしか試合が行われなかったシーズンだ。この年の山内は132試合開催の条件でトップを守ったので、大下よりも難易度の高い快挙であったといえる。
 
 ほかには野村克也(南海)、中西太(西鉄)、豊田泰光(西鉄)が40点台のwRAAを記録して2~4位に並ぶ。ベスト10の顔ぶれもここまでの年度とはかなり変わってきた。1948年に巨人で11試合に出場した関口清治(西鉄)を除けば、全員が2リーグ制となった1950年以降にプロ生活を始めたメンバーになっている。リーグも7チーム制になったことでチーム間の戦力差も縮まり、勝敗表も多少落ち着きを見せている。再編は順調に進んでいるようである。
 
 11位から13位までの間にも葛城隆雄(毎日)、高倉照幸(西鉄)、小玉明利(近鉄)といった、この後の時代にリーグを背負うメンバーの名が並ぶ。35歳を迎えた大下(西鉄)は14位。一時期に比べるとかなり力を落としているようだ。ただこの年は4本塁打にとどまるも打率.306と規定打席到達で最後の3割台を記録した。
 
 ベスト10圏外でトピックとして取り上げたい選手は山本八郎(東映)である。高卒2年目のこの年、一時は打率部門で首位に立つなど、将来のフランチャイズビルダー(長年にわたり強豪チームの顔として確固たる地位を築く選手)になることを予見させるものがあった。ただし接触プレーによる骨折でこのシーズンの半分ほどを棒に振っている。翌年は開幕から4番を打つなど、中心選手としての活躍を期待されていたようだ。しかし捕手ゆえに接触による故障が多かったほか、素行にも問題があり、当初から期待されたほどの活躍にはつながらなかった。この年295打席で4四球に終わるなど、改善すべき欠点は明らかだったが、最後まで修正は効かず、結局30歳で引退に至っている。

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