長嶋茂雄が衝撃のデビュー! セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1958年編~
2020/06/21
Getty Images, DELTA・道作
1958年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
西鉄 130 .619 511 370 141
南海 130 .612 543 414 129
阪急 130 .585 437 392 45
大毎 130 .496 435 440 -5
東映 130 .450 419 442 -23
近鉄 130 .238 326 613 -287
この数年はwRAAランキングトップを中西太(西鉄)と山内和弘(大毎)で争う展開が続いていたが、この年は山内が負傷離脱。wRAA43.4を記録した中西の独走となった。
数字だけを見ると、特別好成績を残している選手はいないが、個人的には非常に興味深いシーズンである。この年は、パ・リーグが現行の6チーム制に変わった。チーム数の減少により、選手が厳選されプレーのクオリティが上昇。これが要因となり全体のレベルも上がり、wRAAの値はトップの中西でも43.4とそれほど高い値ではなくなっている。これはパ・リーグ創設以後2番目に低い傑出である。以後、紆余曲折はあるが6チームの体制は変わっていない。なお、1956年につづき、このシーズンも中西の三冠王争いは話題となっていた。この年は葛城隆雄(大毎)が最終戦の最終打席で本塁打を放ってしまったために、中西は1打点差で打点王を逃がしている。
そして、1打席当たりの打撃貢献を示すwOBA(※3)でその葛城を上回り、中西に次ぐ2位になったのが長谷川繁雄(南海)である。おそらくこの名になじみのない人の方が多いのではないだろうか。この年の長谷川は、同ポジションに2枚以上のレギュラーを用意し、相手先発投手の左右によってスタメンを変更するプラトーン・システムの中で機能したようだ。長谷川は左打者なので相手先発が右投手のときに起用されることが多かった。相手先発の読み違いからか、スタメン出場したにもかかわらず打席に立たずに交代したこともあるほどだ。球団がプラトーン起用を意識して使い、はっきりと成功させた初の例と見ている。歴史的な意義は大きい。
前年までの一塁手時代に守備に問題があり、その形跡は守備指標にも表れている。外野のプラトーン要員にコンバートしたことが成功の要因と考えられる。意識していたのかは不明だが、南海は編成で先進的な取り組みを見せているようにも見える。この長谷川も南海に多かった打撃三冠の数字で見栄えはしないものの、実際の貢献は大きかった打者だ。
圏外選手で取り上げたのは、故障について前述した山内だ。この年は規定打席を下回ってしまったものの、302打席の出場のみでリーグ4位に相当する22点以上の利得を生み出している。