出塁率向上の長嶋がリーグを支配 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1959年編~
2020/06/24
Getty Images, DELTA・道作
1959年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
南海 134 .677 574 408 166
大毎 136 .631 559 447 112
東映 135 .515 490 483 7
西鉄 144 .508 494 459 35
阪急 134 .369 387 510 -123
近鉄 133 .300 381 578 -197
前年、故障で出場機会が少なかった山内和弘(大毎)がwRAAランキングで首位の座を奪還。前年からパ・リーグはチーム数が減少し、各球団のレベルが接近してきた状況にもかかわらずwRAA50.3と高い値をキープしている。この年、山内は長打率6割を記録。ほかは5割台に達した者ですら.515を記録した葛城隆雄(大毎)だけなので、能力の高さは他の追随を許していない。
2位は豊田泰光(西鉄)。出塁率.406で、この部門初の1位を獲得した。西鉄は中西太の負傷やベテランの加齢による衰えにより、ベスト10入りが1人にとどまった。これは7年ぶりのことである。凋落を予想させる西鉄をよそに、大毎勢が4人ランクイン。このときの毎日には、パ・リーグの盟主になることをもくろんだリーグ新設当時を想起させる勢いがあった。またひそかに東映も力をつけてきている。投手陣が整備されたこともあるが、一貫して過小だった得点力が標準レベルに達し、490得点483失点と、得点が失点を初めて上回った。
チーム数減少・チーム合併の影響は編成にも表れている。合併の結果、半数の選手を切るような羽目になった球団もある。この3年前に新人ながら最多安打を獲得するなど華麗なデビューを飾った佐々木信也(大毎)がこの年で早くも引退。当時の西本幸雄監督が「野球をやらなくても食える人材だからやむなく切った」とコメントした逸話が残っている。水利技術者・八田與一が予算削減のため作業員を解雇せざるをえないとき、再就職が容易な有能な者から解雇したという故事を彷彿とさせる。
ベスト10圏外の打者としては、1958年編でも注目した長谷川繁雄(南海)をピックアップした。wRAAは打席数が増えるほど高い得点を稼ぎやすい。そんな中長谷川は規定打席に達していないにもかかわらず、6位相当の23.9を記録。1打席あたりの打撃貢献にあたるwOBA(※3)は3位の葛城を4毛の差で上回っている。