セは長嶋、パは張本が首位に セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう~1961年編~
2020/06/30
Getty Images, DELTA・道作
1961年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
南海 140 .629 613 484 129
東映 140 .611 614 442 172
西鉄 140 .589 545 485 60
大毎 140 .521 601 529 72
阪急 140 .389 421 574 -153
近鉄 140 .261 411 691 -280
この年は、張本勲(東映)がwRAAで初のリーグ首位に立った。出塁率こそ豊田泰光(西鉄)に首位を奪われたものの、それ以外のAdvanced Stats(セイバーメトリクスで重視される打撃指標)はすべて1位。2位の山内和弘(大毎)からリーグ最強打者の座を奪ったかたちだ。張本はイチローとの安打数を比較されることもあり技巧派のイメージが強いが、長打率で5分近くも次位の打者をちぎるなど、この時点でパワー系の指標でも傑出していた。東映は張本を含む3人がベスト10入り。圏外ではあるが山本八郎らの好打者を擁してリーグ最多614得点を挙げた。140試合で83勝。優勝の南海に2.5ゲーム差にまで迫り、この年の時点ですでに翌年の優勝を予見させていた。
ボールが飛ばない時代のランキングらしく、トップの9人はそのまま出塁率でも上位の9人になる。長打力だけではそれほど大きなマージンを得られない年代なのだ。野村克也(南海)らかなり長打に特性をもった選手が割を食っている感もあるが、後年環境が一変する時期が来る。
ベスト10圏外のトピックとしては中田昌宏(阪急)を取り上げたい。中田は野村と同じ29本で本塁打王に輝いているが、wRAAは16.2と伸び悩んだ。前年の1960年に藤本勝巳(大阪)がベスト10圏外で本塁打王を獲得したことと同じことがこの年のパ・リーグでも起こっている。もちろんパ・リーグでは初のことである。
前年に優勝を果たした大毎はこの年は4位に転落。榎本喜八、田宮謙次郎らがベスト10中に残っているように、黄金時代を継続させるだけの素材は抱えていた。しかし前年に優勝は果たしていたものの、この10年レベルで見ると、Bクラスが多くなるなど徐々にチーム力を落としており、この年はその低落傾向を覆すことができなかった。ちなみにリーグ創設時の毎日に連なる球団は1950、60、70年と、なぜか優勝してから次の優勝まで10年ずつかかっている。