阪急黄金時代のはじまり セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1967年編~
2020/07/15
Getty Images, DELTA・道作
1967年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
阪急 134 .577 518 435 83
西鉄 140 .508 407 418 -11
東映 134 .500 510 472 38
南海 133 .492 450 438 12
東京 137 .469 463 483 -20
近鉄 132 .454 465 567 -102
張本勲(東映)がwRAA53.1で1962年以来の1位となった。3度目の1位は中西太(西鉄)に並ぶ記録だ。特定の項目で莫大な利得を出すのではなく、全項目で優秀な数値を収めているのが特徴的である。野村克也(南海)は前年に引き続き良好な出塁能力を見せ、wRAA51.0を記録。2位に入った。
前年にwRAAでリーグをリードした榎本喜八(東京)は7位に後退した。代わって首位争いに土井正博(近鉄)が割って入ったほか、大杉勝男(東映)、長池徳二(阪急)がベスト10に初登場。次の年代を代表する打者が台頭し、勢力図に変化が起きている。この変化はチーム力にも表れており、この年に阪急が初優勝を果たす。このあと続く阪急全盛期の始まりのシーズンとなった。
なお、新世代の中心打者に重戦車タイプが多かったことから、この後、パ・リーグの外野陣は守備を担当する選手と打撃を担当する選手に役割分担するような状況が見られる。そしてそのことは後年の指名打者制度採用を後押しした可能性がある。レンジファクター(9イニングあたりの刺殺と補殺)で見たときに、選手によって打球に関与する頻度がかなり偏っていることからも、この様子はうかがえる。
阪急によるダリル・スペンサー獲得の大成功があったために、この頃からMLBで実績を残したプレーヤーを獲得する動きが広まった。この年、南海はドン・ブラッシンゲーム(登録名ブレイザー)、大洋はディック・スチュアートに後年のクリート・ボイヤー、翌年に東京はジョージ・アルトマン、近鉄はジム・ジェンタイルなどを獲得している。ネームバリューでいうと、現代に来日している外国人選手を上回っているのではないだろうか。
ベスト10圏外での注目打者は前述したブレイザーを取り上げた。守備力の高い選手が多く集まる二塁手をこなしながら、打撃(wRAA)でも2.2とプラスの数字をキープしている。ブレイザーは南海に内野守備の改善をもたらしただけでなく、プレーに対する造詣の深さから、チームメイトであった野村の野球観にも大きな影響を与えたようだ。のちの球界全体の能力向上に大きく寄与したとされる外国人選手である。