高田繁入団で巨人の得点力が群を抜く セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1968年編~
2020/07/18
Getty Images, DELTA・道作
1968年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
阪急 134 .615 538 439 99
南海 136 .608 548 445 103
東京 139 .515 578 553 25
近鉄 135 .438 421 491 -70
西鉄 133 .431 464 486 -22
東映 135 .392 472 607 -135
この時代はダリル・スペンサー(阪急)の成功もあり、MLBで実績ある外国人を獲得するトレンドが生まれていた。それを引き継ぎオリオンズが獲得したジョージ・アルトマンが、このシーズン、リーグ全打者中最高のwRAA46.9を生み出した。アルトマンはカブス在籍中の1961年にMLBのオールスターゲームに出場したほどの実績があるプレイヤーである。MLBにおけるベストシーズンだった1961年には、138試合に出場して打率.303、27本塁打、96打点でOPSは.913を記録。12三塁打でリーグ最多三塁打もマークしている。筆者には、アルトマンが来日した当時、雑誌で「2メートルの長身」と紹介されていた記憶があるが、実際は191センチほどであったらしい。
ただしこのシーズン、1打席あたりの打撃の質を表すwOBA(※3)が最も良好だったのは張本勲(東映)である。この年の張本は欠場が嵩んでいたために、打席数が多いほどに数字を積み上げやすいwRAAでは、ほぼフル出場のアルトマンに一歩譲っている。
なお、この年、張本は打率.336で首位打者を獲得しているが、前年も同じ打率での首位打者であった。規定打席到達中では最下位の小池兼司(南海)が.193を記録しているが、前年も小池は打率.194で最下位。小池の打率があと1厘上がっていれば「2年続けて首位打者と最下位が同じ打者で、かつそれぞれ同じ打率」の大珍記録が生まれるところであった。
ベスト10圏外で成績を示した注目選手は阪急の矢野清である。阪急は前年に悲願の初優勝を遂げたところだったが、この年になるとスペンサーは加齢によりすでにフル出場が不可能な状態に。また長池徳士もこの年は不振だったため、得点生産に弱点を抱えていた。
この状況を救ったのが矢野である。規定打席には到達しなかったが、wOBAを見ればリーグ最強の張本の.424をも上回る.430を記録。規定打席という枠を外せば、この年のパ・リーグで打席に立ったとき最も怖かったのは、張本ではなくこの矢野であったと考えることもできる。プロ入り後9年間、出場の実績すらほとんどない打者が10年目に突如としてリーグを席巻。日本シリーズに中心打者として現れた、ということで当時の違和感は今でも記憶に残っている。また、彼は登場と同様に、わずか2年で唐突に表舞台から消えた。