王貞治の全盛期が到来 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1973年編~
2020/08/02
Getty Images, DELTA・道作
1973年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点 前期/後期
南海 130 .540 508 493 15 1/3
阪急 130 .616 645 499 146 3/1
ロッテ 130 .588 548 491 57 2/2
太平洋 130 .480 499 509 -10 4/5
日拓 130 .444 511 563 -52 5/3
近鉄 130 .336 424 580 -156 6/6
wRAAによる評価では、1972年に続き、この年も張本勲(日拓)と長池徳二(阪急)が1位2位を占めた。打撃3部門では無冠の張本がwRAA49.7で1位、本塁打・打点の二冠となった長池がwRAA48.8で2位となっている。出塁率で張本が、長打率で長池がリーグをリードする構図は前年から変わっていない。ただしこの年に長池が残した出塁率.406は、彼のキャリアの中でも相当に良好なものであったため、張本との差は誤差レベルとなった。4位の加藤秀司(阪急)は打率.337で首位打者を獲得している。
ベスト10入りメンバーも福本豊(阪急)が初のランクインとなったほかはあまり変わらず、前年の繰り返しにも見えるほどである。打率や打点など旧来式のスタッツを見ても、福本とクラレンス・ジョーンズ(南海)以外は、打率が3割前後、本塁打は25本前後、打点も90前後とみな似通ったものになっている。
波乱があったのは選手個人よりもチームの方である。球団買収のため東映フライヤーズが日拓ホーム・フライヤーズへ、西鉄ライオンズが太平洋クラブ・ライオンズへと名称変更された。球団消滅もなく引き継がれたのは何よりだが、強豪としてなじみのある西鉄や、親会社からして慣れ親しんでいた東映が、初めて聞く企業の名前に変わることに筆者はどうしても慣れなかった。
そしてこの年から10年間、パ・リーグは前後期制度を導入。初年度から年間勝率.616でトップの阪急が日本シリーズに出場できないという波乱が起きる。プレーオフで南海が阪急を3勝2敗で下したために起こったのだが、レギュラーシーズン後期における直接対決では、南海の12敗1分けであった。短期間における試合ではこういう偏った結果が普通に起きるということの見本でもある。シーズン後期の結果だけを見ると、圧倒的に不利に思えた南海がプレーオフでは阪急を下したため、この南海の優勝は「死んだふり」とも形容された。