王の14年連続1位を田淵が阻止 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1975年編~
2020/08/08
Getty Images, DELTA・道作
1975年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点 前期/後期
阪急 130 .520 541 506 35 1/6
近鉄 130 .587 498 448 50 3/1
太平洋 130 .483 530 563 -33 2/4
ロッテ 130 .476 514 494 20 6/2
南海 130 .467 524 478 46 5/3
日本ハム 130 .466 458 576 -118 4/4
この年からパ・リーグでは指名打者制度が導入された。これにより全体の打撃成績が上がるかと思われたが、結果は野手全体の打率は変わらず、出塁率と長打率は低下。投手優位の結果がもたらされた。これは歴年の強打者の多くに衰えの傾向が出始めていたことも関係していたと思われる。失点がよく抑えられたシーズンであり、ベスト10入りした打者でも例年に比べ成績はかなり低くなっている。
その中で加藤秀司(阪急)はwRAA43.1を記録。出塁も長打も良好な数値を残し、2位以下を離しての1位となった。ただし所属の阪急はプレーオフに勝利し優勝こそしたものの、不調の年であったようで、シーズン64勝59敗とここ数年来で最悪の結果になっている。代わって近鉄が躍進。阪急を上回る年間71勝は当時としては予想外のものであった。
またついにベスト10から張本勲(日本ハム)の名が消えた。これは1959年以来のことになる。ほかに大杉勝男はすでにセ・リーグ(ヤクルト)へ移籍、野村克也(南海)、長池徳二(阪急)もこの年が最後のベスト10入りと、着々と世代交代、勢力図の変化が進んでいる。
2位土井正博(太平洋)は34本で初の本塁打王、5位白仁天(太平洋)は.319で初の首位打者。wRAA1位の加藤は打点と長打率でリーグトップを記録した。いずれも自身初のことであった。
4位ボビー・マルカーノ(阪急)は.324と、1968年大杉以来の低出塁率でベスト10入り。14個という少ない四球獲得の結果、この出塁率となった。ちなみに5位の白も四球は17個にとどまっている。20個を下回る四球でのベスト10入りは珍しい記録で、2人同時のベスト10入りは史上初の出来事である。このことはこの年が投手優位の環境であったことも物語っている。
ベスト10圏外選手のトピックは小川亨(近鉄)。この年、.394で最高出塁率を獲得したにもかかわらずベスト10入りを逃した。これは史上初の出来事である。出塁能力に特化した打者で1971年には出塁率4割超えを達成している。出塁に特化した打者だけに、長打の多い選手が成績を伸ばしにくい投手優位時代でこそ真価を発揮しそうなタイプだが、高反発球が使用された1979-80年にも中心選手として活躍し、近鉄の連覇に貢献した。