新入団のレロン・リーがいきなりパ・リーグ1位に セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1977年編~
2020/08/14
Getty Images, DELTA・道作
1977年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点 前期/後期
阪急 130 .575 569 475 94 1/2
南海 130 .534 502 471 31 2/3
ロッテ 130 .513 526 485 41 5/1
近鉄 130 .492 453 483 -30 3/6
日本ハム 130 .487 479 485 -6 4/4
クラウン 130 .402 468 598 -130 6/5
新加入のレロン・リー(ロッテ)が加藤秀司(阪急)の牙城を崩して1位となっている。なんでも振るタイプのフリースインガーだったため四球は少なかったが、問題となるはずの出塁率も、高打率に加え高い長打力よって投手も勝負を恐れたのか、.370と高いレベルをキープしている。この年はwOBA(※3)、長打率、本塁打、打点でリーグ首位に立った。加藤も前年並みのwRAAは生産しているが、この投手優位のシーズンにしてはリーの打撃はあまりにも強力だったようだ。
この時期の阪急は非常に強力であった。どんなチームでも必ず発生するメンバーの入れ替わりがあっても、あとから必ず強力な選手が補充されている。この頃は長池徳士という最大の得点源を失いながらも優勝に必要なだけの得点をチーム全体で確保し、致命的な攻撃力低下を回避した。
その代表が3位の島谷金二(阪急)である。島谷はこの年に中日から加わったが、このタイミングで才能が開花。この後数年にわたり中心打者として活躍する。この年がwRAAで見た場合の生涯ベストシーズンであった。8位のボビー・ミッチェル(日本ハム)は32本塁打を記録。本塁打を打ったあと、雨天ノーゲームになる不運が2回もあった。本塁打王のリーが34本であったため、天気によっては並びの本塁打王であったことになる。
ほかにはクラウンの基満男と土井正博が57個で最多四球を獲得していることにも注目したい。これは2リーグ制以降、両リーグ通じて最少の記録である。投手優位であった環境を認識して、各投手が躊躇なくストライクを投げてきている様子がうかがえる。また、当時は試合時間が長すぎると問題になっていた時期でもある。こういった環境もあり、審判は積極的にストライクをコールしていたのかもしれない。このように四球が少ないシーズンは、もともと四球が少ない打者のほうが多い打者よりも成績を落としにくい。その影響はベスト10のメンバーや成績に表れている。
ベスト10圏外での取り上げたのは高井保弘(阪急)である。代打の切り札として活躍していた選手であったが、指名打者制度導入の後押しもありレギュラーを獲得。この年、初めて規定打席に到達した。高井はキャリア27本という代打本塁打の世界通算記録をもっている。1967年編で注目打者として宮川孝雄(当時広島)を取り上げた際、指名打者制度導入が間に合わなかった選手と紹介した。高井は宮川とは逆に、指名打者制度導入に間に合った選手で、ルール変更によって選手起用の幅が広がったことを象徴する打者である。