ロッテ・落合が史上4人目の三冠王を獲得 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1982年編~
2020/08/29
Getty Images, DELTA・道作
1982年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点 前期/後期
西武 130 .540 529 461 68 1/3
日本ハム 130 .563 551 518 33 4/1
近鉄 130 .525 594 577 17 3/2
阪急 130 .508 596 522 74 2/5
ロッテ 130 .439 531 600 -69 6/4
南海 130 .427 452 575 -123 5/6
ついにライオンズがパ・リーグを制覇。これは西鉄時代の1963年から19年ぶりの出来事であった。1969年の「黒い霧事件」発覚以降は、長年リーグ内で明らかに戦力が劣るドアマットチームであったが、そのような状況からわずか4シーズンで優勝。これほど早くチームを再建した西武グループの力は当時のオーナー企業の中で群を抜いていた。ただし、この年の西武の攻撃力はさほどではなく、ベスト10に入ったのはスティーブただ1人。投手力で勝ちとった優勝であった。
wRAA53.0でリーグをリードしたのは落合博満(ロッテ)。NPB史上4人目の三冠王を獲得した。落合は1打席あたりの得点貢献を示すwOBA(※3)、出塁率、長打率においてもリーグ1位を獲得。完ぺきな1年であった。
2位はこれが9回目のベスト10入りとなる福本豊(阪急)。盗塁で最も名を成した選手だが、盗塁を無視しても1人の卓越した強打者として評価を得るべき選手だ。ちなみに福本は解説者時代に盗塁の秘訣を問われて「まず塁に出ることやね」と答えたそうである。
3位の栗橋茂(近鉄)はwOBA.414と1打席あたりの得点貢献では高い値を示した。しかし欠場が多く、打席が多いほど有利になるwRAAでは福本の後塵を拝することとなった。変わったところでは8位の中沢伸二(阪急)。捕手として21年間プロ生活を続けたが、36歳のこの年が唯一の規定打席到達シーズンである。また規定打席以下の選手ではレロン・リー(ロッテ)が好成績を残している。wOBA.386は規定打席到達打者の5位相当。やや成績を落とした前年からの復活を予見させた。
負傷の選手が多かったり、ベスト10常連選手がスランプだったりと、ランキング内の選手構成もやや毛色の変わったシーズンであった。