21歳のイチローが210安打を放ちトップに セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1994年編~
2020/10/09
Getty Images, DELTA・道作
1994年のパ・リーグ
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点
西武 130 .594 667 535 132
オリックス 130 .535 601 563 38
近鉄 130 .535 701 619 82
ダイエー 130 .535 604 592 12
ロッテ 130 .430 521 633 -112
日本ハム 130 .368 485 637 -152
イチロー(オリックス)が鮮烈に登場し、いきなり異次元の210安打を放った。シーズン130試合制の下では信じがたい記録である。イチローが210安打を記録するまでは1950年に藤村富美男(大阪)によって記録された191安打が最高であった。しかもこれはラビットボールと呼ばれた、よく飛ぶボールを使っての記録である。
ブレイク初年度ながらイチローはwRAA、1打席あたりの得点貢献を示すwOBA(※3)、出塁率、打率でリーグをリード。本塁打13本以下で得点生産1位だった選手は両リーグ通じて1960年の榎本喜八(大毎)まで遡る。またこの年はブレイク直後とあってか7犠打を記録している。このシーズン途中では首脳陣もまだ大打者の確信がなかったのだろう。イチローほどの打者に犠打のサインが出ているところに時代を感じさせる。ちなみに翌年からの日本での6年間は犠打を記録していない。なお、1965年からのパ・リーグ30シーズンで、wRAAトップの選手が記録した犠打はイチローを除き総計6個に過ぎない。
2位の石井浩郎(近鉄)はトップとなった前年からさらに数字を向上させたがイチローには及ばなかった。.591、111打点で最高長打率と打点王を記録している。本塁打王のラルフ・ブライアントと並んだ中軸は強力で、近鉄はリーグ最多の701得点を記録した。3位には1990年以来、100四球をクリアした清原和博(西武)がランクインしている。
この年はダイエー勢が一挙に4人ベストテン入り。だがカズ山本、松永浩美と出塁率の極めて高いチャンスメーカーを有していたにもかかわらず、チームの得点はリーグ3位の604と意外に伸びなかった。セイバーメトリクスの手法でwOBAを得点に換算すると、優勝した西武の667得点をダイエーが上回るほうが自然という計算もできる。打撃成績からすると、ダイエーは得点に結びつける効率がかなり悪かったようだ。
この年、ダイエーは前年の最下位から69勝60敗と大きく巻き返していたが、もし順当な得点が得られていた場合は前年45勝80敗、首位から28ゲーム差のチームが翌年優勝するという劇的な展開もありえた。チームにとっては残念な結果である。
ベスト10圏外では西武の鈴木健を取り上げる。以前から活躍できる能力は十分備わっていたと思われる選手だが、強力西武に所属していることで前年まで出番に恵まれていなかった。1992年オフにオレステス・デストラーデが退団となり、前年からようやく出場機会が増えてきた。1992年までは飼い殺しの感があったが、これ以降活躍の場があったのは何よりである。