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混戦を勝ち抜くためのメンタルと経験値が、今のカープにはある! 【音楽と野球 岩瀬敬吾さん(元19『ジューク』)#1】

『音楽のように“エンターテインメント”のひとつとして野球を楽しもう』という思いでお届けするこの企画。今回登場してくれたのは、カープファンの岩瀬敬吾さん。“カープ”は、物心ついたころから存在し、現在も日々の中にあるものだという。レジェンドと呼ばれるOBから2軍で汗を流す選手のことまで知り尽くした彼が、幼少期の思い出や、“混セ”について、たっぷりと語ってくれた。

2015/08/01

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【写真】岩瀬敬吾さん(右)は、現在は今作制作に携わったメンバーで編成した「ノロッストリオ」としても活動するなど、精力的に全国各地でライブを行っている。

今までで一番印象深いのは1991年の優勝です

――岩瀬さんは広島県出身ですが、物心ついた時からカープファンだったのでしょうか。

 そうですね。テレビを見ていたら、(試合だけではなく)CMにもカープの選手が出ていましたし、近所の病院でサイン会をやったり、野球教室に選手が来たりといった話もよく聞きました。だから、僕に限らず広島に生まれた人は、当たり前のようにカープの応援をするのではないでしょうか。ずっと見て育ちますからね。僕も幼いころはアニメのほうが好きでしたが、小学校の学年が上がるにつれて、アニメもよりも、だんだんカープのことが気になりだして、そのバランスがグラデーションのように変わっていった記憶があります。

――子どものころには、広島市民球場によく行かれましたか?

 中学生になってからは、自分のお小遣いをためて行きましたが、実家のある黒瀬町は広島市内から離れているので、たまに行ったくらいです。球場横のバスセンターから、筆の里(として知られている)熊野までバスが出ているんですが、終バスの時間が早く、最後まで試合を見られないこともあって、名残惜しい気持ちで帰りましたね。うちは熊野からさらに先なので、よくおふくろに迎えに来てもらいました。姉とファン感謝祭に行ったことも何度かあります。“ファン感”は無料ですからね。

――岩瀬さんの中で、カープに関する一番古い記憶はどのようなことですか?

 もっとも深く遠い記憶は、保育所に通っていたころの土曜日。うちは共働きだったので、おふくろが迎えに来るまで、他の子どもたちよりも少し長めに待っていたんです。その時に先生からもらったイチゴ飴やパイン飴を舐めながら、デーゲームのテレビ中継を見ていたことですね。

――光景が目に浮かぶようなお話ですね。当時、印象的だった選手は誰ですか?

 少し記憶が曖昧な部分がありますが、山本浩二さんや衣笠祥雄さんも現役だったと思いますし、あとは高橋慶彦さんとか……。そうだなぁ、小学・中学のころによく応援していたのは、北別府学さん。三振をバシバシとるのがカッコよかったのを覚えています。投手王国でしたから。野手では正田耕三さんですね。阿南監督の時代が色濃く記憶に残っています。だけど、一番印象深いのは、やはり1991年・山本浩二監督の時の優勝かな。そのあとの三村監督も好きでした。今の緒方監督は三村監督を尊敬されていて、采配も意識していらっしゃるそうですね。

――どんどん具体的なお名前があがってきますね! では、緒方監督のお話が出たところで“今”のカープについてお聞きします。開幕前は優勝候補として名前があげられていたことを踏まえて、現在の順位(前半戦終了時点で5位)をどうご覧になりますか?

 物は考えようで、順位こそ5位ですが、交流戦も前半戦も終わって、首位と2ゲーム差というのは、ベストだと思っています。僕は交流戦を心配していましたから。ライブで地方に行くと、お客さんが「今度、交流戦を見に来てください」と、おっしゃってくれるんですが、「いやぁ、交流戦嫌いなんで」って言ってしまうくらい、いい思い出がまったくないんです(笑)。

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