小笠原道大、前田幸長、門倉健…積極的なFA補強図る巨人、明暗分かれるFA入団選手の活躍は?<2000年代編>
2020/12/10
日本野球機構(NPB)は5日、フリーエージェント(FA)宣言選手を公示。7選手がFA権行使を表明した。
FA市場で、例年活発な動きを見せているのが読売ジャイアンツだ。1993年に制度が設立されて以降、落合博満氏(当時中日ドラゴンズ)、清原和博氏(当時西武ライオンズ)、小笠原道大氏(当時北海道日本ハムファイターズ)ら26人の選手を獲得。今季も横浜DeNAベイスターズからFA宣言した井納翔一投手、梶谷隆幸外野手の獲得に乗り出すと報じられている。
一方で、移籍後に期待通りの活躍を見せる選手だけでなく、成績低迷に陥る選手も多くいる。今回は、巨人が2000年代にFA移籍で獲得した選手たちを振り返る。
2001年
前田幸長(中日ドラゴンズから移籍)
投手
巨人での通算成績 240試合(244回)、11勝8敗4セーブ12ホールド、218奪三振、防御率3.80(2002年〜2007年)
中日時代には様々な起用法で登板を重ねた前田は、巨人では移籍初年度からセットアッパーに定着し、自己最多の53試合に登板。リーグ優勝、日本一にも大きく貢献するなどリリーフへの専念が功を奏した。以降もリリーフ陣の核を担い、チーム状況によってはクローザーを任されるなどフル回転の活躍。しかし2006年以降は不安定な投球から登板機会が減少し、2007年オフに自らの希望により退団することとなった。
2005年
豊田清(西武ライオンズから移籍)
投手
巨人での通算成績 197試合(187回1/3)、9勝14敗22セーブ71ホールド、201奪三振、防御率3.12(2006年〜2010年)
西武時代にはクローザーを担った豊田。巨人でも同様の役割を期待されたが、移籍初年度は振るわず13セーブに終わった。翌2007年途中からはクローザーを外されたが、主にセットアッパーとして存在感を見せた。2009年には46試合登板で防御率1.99をマークしたが、2010年シーズンは不安定な投球が続き、同年オフに戦力外通告を受けた。
野口茂樹(中日ドラゴンズから移籍)
投手
巨人での通算成績 32試合(32回1/3)、1勝1敗4ホールド、29奪三振、防御率4.73(2006年〜2008年)
2001年には最優秀防御率、最多奪三振の投手2冠に輝いた野口。しかし、同年以降はやや成績が低迷しており、新天地で再起を図ることとなった。しかし、移籍初年度の一軍登板はわずか1試合。2007年にリリーフ転向後も目立った成績を残せず、2008年オフに戦力外通告を受けた。
2006年
門倉健(横浜ベイスターズから移籍)
投手
巨人での通算成績 23試合(44回1/3)、1勝7敗2ホールド、42奪三振、防御率5.28(2007年〜2008年)
3球団で主に先発の一角を担った門倉。巨人では移籍初年度をわずか1勝で終え、2008年にはリリーフに転向するも結果を残せず、わずか2年で退団となった。
小笠原道大(北海道日本ハムファイターズから移籍)
内野手
巨人での通算成績 701試合、打率.296、745安打、138本塁打、413打点、8盗塁(2007年〜2013年)
フルスイングが真骨頂の小笠原。日本ハムでは、長打と確実性を兼ね備えた打撃で多くのタイトルを獲得、2006年にはパシフィック・リーグMVPを受賞した。巨人でも移籍初年度から打率.313、31本塁打、88打点とその打棒を遺憾無く発揮し、リーグを跨いで2年連続受賞となるセントラル・リーグMVPに輝いた。移籍前の2006年から5年連続3割30本塁打を達成。クリーンアップの一角として打線を牽引した。
2009年
藤井秀悟(北海道日本ハムファイターズから移籍)
投手
巨人での通算成績 24試合(127回)、7勝3敗、92奪三振、防御率3.83(2010年〜2011年)
ヤクルト、日本ハム時代には先発ローテーションの一角を担った藤井。巨人では移籍初年度に規定投球回未満ながら7勝、防御率3.76とまずまずの成績を残した。しかし翌2011年は1試合のみの登板に終わると、FA移籍のプロテクトリストから外れ、同年オフに村田修一の人的補償としてDeNAに移籍した。
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