五十幡亮汰よ、名選手揃う日ハム俊足外野手の系譜を継ぐ男になれ【えのきどいちろうのファイターズチャンネル#137】
ドラフト2位指名を受けた五十幡亮汰は、高校時代から注目していた選手だった。大学4年間で目覚ましい成長を遂げ、プロの世界に足を踏み入れたルーキーに期待せざるを得ない。
2020/12/27
中大野球部で急成長
今年最後のコラムになる。コロナ禍に揺れた2020年ラストは思いきり私情をまじえた原稿で締めくくろう。僕の母校、中央大学からルーキーが入ってくる。ドラフト2位、五十幡亮汰。読みは「いそばた」と濁る。中学3年時、全日本中学陸上選手権大会の100メートル、200メートル両方でサニブラウン(後の100メートル日本記録保持者)を抑えて優勝、「サニブラウンに勝った男」として勇名をはせた選手だ。それでも陸上競技へは進まず、亡くなられたお母さんに誓った「プロ野球選手の夢」を捨てなかった物語はドラフト当日放映された『ドラフト緊急生特番! お母さんありがとう』(TBS系列)で皆さんご存知だろう。
五十幡亮汰は僕も注目してきた。佐野日大時代から『野球太郎』などの雑誌に記事が出ていたし、栃木には(別件のアイスホッケーがらみだが)土地勘もあったから清原球場(宇都宮)にふらふら出かけていった。我ながら呆れたミーハーぶりである。高校生の五十幡君は線が細かった。俊足ではあるのだろうけど、野球の地力が物足りないと思った。野球は走力を見せるためにはまず打って出塁しなければならない。バッティングが課題だった。とりあえず高卒でドラフトにかかることはなさそうだ。
そうしたら中大の野球部に飛び込んできた。野球を続けるなら日大だろうと思っていたからこれは嬉しい誤算だった。これから「サニブラウンに勝った男」は母校の後輩だ。
この「母校の後輩」は便利な言葉(というか概念)で、ものすごく大きなくくりで阿部寛でも新海誠でも中村憲剛でも石川祐希でも、有名人に勝手な親近感を持つことができる。しかもこっちが先輩だからなんとなーく上から目線になれる。僕は神宮球場に五十幡亮汰選手を見に行くことにした。今度は自宅から地下鉄で一本だ。宇都宮からバスで工業団地へ入っていかないで済む。
野球の地力は中大野球部で身につけたんじゃないかと思っている。まぁ、元々ずば抜けた走力がある。これはとんでもないアドバンテージだ。投手が速い球を投げるとか、強打者が遠くへ飛ばすとか、そういうファンダメンタルの部分は(もちろんトレーニングで改善の余地があるけれど)基本的には持って生まれたものだ。「速く走れる」もそういう一つだ。その能力は既に東都リーグ屈指のものだった。
で、大学時代に身につけたのはパンチ力だった。といってホームラン打者に変貌したわけじゃない。しっかり叩いた当たりが目立つようになった。「しっかり叩いて左中間」というイメージ。筋トレとか体幹とか、あるいは素振りのような地道な反復練習をやり抜いたのだと思う。身体が強くなった印象だ。中大野球部は五十幡に合っていたんじゃないか。