2021年は丑年。「うし」がつくプロ野球選手といえば? 「牛」は2人の右腕、「丑」は…
2021/01/01
年が明け、2021年(令和3年)を迎えた。今年の干支は「丑(うし)」年だ。今回は、丑年にちなんで、「うし」のつくプロ野球選手を振り返ってみよう。
牛島和彦
まず「牛」ときいて思い出すのは、牛島和彦氏ではないだろうか。
牛島氏は1961年生まれ。浪商高から、1979年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団した右腕だ。ドラゴンズでは、2年目(81年)に、リリーフとして51試合に登板して頭角を現すと、翌82年には先発に転向し2桁勝利、さらに83年にはクローザーとして最多セーブ(29セーブ)をマークした。
1987年からは、落合博満とのトレード(1対4、牛島のほか上川誠二、平沼定晴、桑田茂)でロッテに移籍。新天地では、自身初のタイトルとなる最優秀救援投手(87年)、89年には自己最多の12勝を挙げるなど、与えられた役割を全うし、結果を残した。
現役引退後は、主に野球解説者として活躍。2005年からは、横浜ベイスターズ(現DeNA)の監督として2年間指揮を執った。
プロ通算成績は、395試合に登板し、53勝64敗、126セーブ、746奪三振、防御率3.26となっている。
牛田成輝
そして「牛」といえば、牛島氏と同じ右腕の牛田成輝氏がいる。若い世代のファンにとっては、こちらの方が馴染み深いかもしれない。
牛田氏は、1981年生まれ。2020シーズン限りで現役を引退した岩隈久志や、来季も現役を続ける鳥谷敬、青木宣親らと同じ代だ。
現役時代は、2003年ドラフト4位で横浜に入団。プロ9年間、主にリリーバーとして活躍した。特に2010、11年にはセットアッパーとして高い安定感を見せた。
現役引退後は、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスでのコーチを経て、2020シーズンからはDeNAでファーム投手コーチを務めている。
丑山努
さらに、「牛」だけではなく、干支のとおり「丑」を名前にもつ選手もいた。元日本ハム・ファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)の捕手・丑山努氏だ。
丑山氏は、1965年生まれで、松本工、橘高を経て1984年ドラフト6位で日本ハムに入団。1軍では通算13試合の出場にとどまるものの、引退後は捕手として培った経験を生かし、同球団のバッテリーコーチとしても活躍した。
「うし」なら?
最後に、現役選手に目を向けると、「牛」や「丑」のつく選手は見当たらなかったが、「うし」なら複数人該当した。
今季大ブレークを果たした、和田康士朗(わだこ「うし」ろう)や、戸郷翔征(とご「うし」ょうせい)。FAで読売ジャイアンツに移籍する井納翔一(いの「うし」ょういち)、日本ハムの清水優心(しみずゆ「うし」)もいる。読者の方々も野球選手の名前に潜む“隠れうし”を探してみてはいかがだろうか。