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「4年間何もやっていない」オリックス近藤一樹の励みとなった、1つの動画【どら増田のオリ熱コラム#51】

オリックスファンにとって、馴染みの深い背番号「65」が戻ってきた。今季4月に支配下登録された近藤一樹は7月12日の楽天戦で4年ぶりの白星をあげ、復活の一歩を踏み出した。故障に泣き、苦しい4年間を支えたのは、ある1つの動画だった。

2015/08/04

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画像提供/オリックス・バファローズ



65→11→50→125、そして……

「あの試合の前に坊主にしたんです。あの頃はずっと良くなくて、僕は物とか他人に当たってストレスを解消するのはイヤなんですけど、自分で何かに当たりたくて、最初に髭を落としたんですね。でもまだスッキリしないので、そのままバリカンを上げて坊主になったんです。とにかくスッキリしたかった。でも試合は出足からたくさん点取られて、岡田監督(当時)に『お前最 後まで投げぇ!』って言われて。その後は良かったんですけどね」

 そんな大宮球場があった2010年のオフに背番号が11に変更されることが発表さ れる。

「実は背番号を変える話は前からあって3年間断り続けて来たんですよ。でも岡田監督にも『番号もアカンし変え!』って言われたし、大宮球場のこともあって流れ的に良くなかったので、番号を変えようと思い11を選びました」

 意を決して背番号を変更した近藤だが、手術による長期離脱のため、11という背番号を背負ったのは僅か1年だった。

「球団からは『65は空けておくよ』って言われてたんですよ。でも自分で3年間も断り続けて来て、背番号を変えたのに、65にしたら悪くなって出戻ることになってしまう。それがイヤだったので、50を選びました。今度は50としての僕を作りたかったから、ソックスを上げてオールドスタイルにしたり、色々変えたんですよ」

 しかし、背番号50の近藤は一軍で勝利をあげることなく終えることになる。昨年オフには4度目の手術を行うことになり育成契約に。背番号は125になった。そして今年4月28日に支配下登録されて近藤が選んだ番号は「65」だった。

「これは周りやファンの方にも言われるんですけど、前につけていた頃とユニフォームも違うし、あれから5年も過ぎてるんですけど、しっくり来ますね」

 5年振りに帰ってきた「65」の近藤は、7月12日の楽天戦で、4シーズン振りの勝利をあげると、7月26日のソフトバンク戦ではキレ味抜群な投球で、7回を1安打(6回1/3まではノーヒット)無失点に抑える好投を見せた。

「調子が悪くても抑えられる時もあるし、大宮球場みたいに良くても打たれることもあるし半々なんですよね。自分の場合は調子が良い悪いじゃなく、(肘の)痛みがあるかないかで割り切った。今は痛みがないので、ソフトバンク戦では『できるんだな』と思いました」

 これは常に怪我と闘っている近藤一樹にしか語ることができない話かもしれない。そんな近藤の復活をずっと待ち続けていたファンについて聞いてみると「あっ、一ついいですか?」と話を切り出した。

「この4年間『何を励みにして来たんですか?』ってファンの方によく聞かれるんですけど、僕はブログとかTwitterをやっていないので、今まで言って来なかったんですよ。それを言うので伝えてもらえませんか?」

 もちろん断る理由はない。「わかりました」と私が答えると、近藤は「野球とは全然関係ないんですけど」と前置きをした上で話を続けた。

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