日本プロ野球がスタート。わずか2本塁打の藤村富美男が本塁打王に セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1936-37年編~
2021/01/30
Getty Images, DELTA・道作
1937年春のNPB
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点
巨人 56 .759 260 132 128
大阪 56 .745 333 161 172
セネタース 56 .536 206 192 14
阪急 56 .519 262 218 44
金鯱 56 .455 217 234 -17
大東京 56 .404 202 289 -87
名古屋 56 .375 210 311 -101
イーグルス 56 .214 188 341 -153
大阪タイガースの初代主将・松木が、表内に記載した打撃スタッツでは、打点以外すべてで首位に立っている。打力は確実性と長打力を兼ね備え、盗塁も同チームの山口政信に次ぐ24をマーク。173cm79㎏と当時としては極めて恵まれた体格もあわせて考えると、身体能力の高い選手だったのだろう。
この年の大阪は松木・景浦・山口でトップ3を独占。ほかのラインアップも強力で、チーム得点333点は得点2位の阪急を71点突き放す他球団とは一線を画した打線となっている。2位の景浦は、松木を超える21本で最多長打をマークするとともに47打点で打点王を獲得。3位の山口は29盗塁で盗塁王を獲得したスピードスターであったが、60四球で最多四球を記録する出塁に秀でた打者であった。
5位の山下、7位の中根之(イーグルス)、9位の藤井は前シーズンに続くランクイン。うち山下は次シーズンまで継続してベスト10入りすることになる。
投打ともに規定をクリアした二刀流選手は1937年春が7名、秋は2名で、この中には景浦、藤村といったスラッガーも含まれている。この頃の投手は特別な選手というより9つあるポジションの1つで、「打てないのが当然」といった風潮はずっと後になってできたものである。景浦や藤村を野手に分類してもなお「投手全体の打撃成績」が「野手・捕手全体の打撃成績」より優れている逆転現象のシーズンも見られる。
ベスト10圏外の注目選手では門前眞佐人(大阪)に注目。このシーズンはwRAAでマイナスを記録したが、このあと長年に渡り捕手として活躍。引退は入団から21年後のことであった。地味ながら意外な長打力で、128試合出場した1950年に長打率.513を記録するなど、試合数の多いシーズンに高い長打率を記録した。このシーズンも15二塁打がリーグ最多。1950年には25本塁打を記録するなどして、捕手として1000試合出場を記録した。