中島治康が史上初の三冠王を獲得 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう~1938年編~
2021/02/02
Getty Images, DELTA・道作
1938年春のNPB
チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点
大阪 35 .829 212 109 103
巨人 35 .686 170 118 52
阪急 35 .618 153 97 56
イーグルス 35 .545 117 109 8
セネタース 35 .382 135 174 -39
金鯱 35 .371 147 200 -53
名古屋 35 .314 122 169 -47
ライオン 35 .257 105 185 -80
1938年春は、苅田久徳(セネタース)がwRAA14.4を記録し、ランキング1位の座についた。苅田は強打タイプの選手としては認識されておらず、「名人」の呼び名の通り技術的な側面や守備力について語られてきた。しかし、このシーズンはなぜか長打の割合が高く、リーグトップの11二塁打などが寄与して1位となっている。
2位・3位・5位にはそれぞれ出塁に強みを持つ桝嘉一(名古屋)・西村正夫(阪急)・山口政信(大阪)がランクイン。桝は出塁率.493で最高出塁率となるなど3人そろって持ち味を発揮した。またランキング選手の出塁率が近年に比べて全般的に高くなっているのにお気づきだろうか。これはこの時代、かなり多くの四球が発生したことが原因である。
規定投球回に達して被安打と与四球がほぼ同数の投手や、甚だしきは与四球の方が多い投手まで存在した。確かに打者を警戒した結果の与四球は時代を問わずあるが、これだけ長打の少ない時代にこの数は異常である。野球において与四球の乱発は自らの首を絞める行為なわけだが、当時の投手にとってはストライクを取ることが技術的に少々難しかったのかもしれない。打ってもほぼ単打の打者は多く存在し、さらにこれほど四球が多かったとなると現代とはかなり異なる攻防であったことは想像に難くない。このような時代背景だったからこそ、後に述べる山田潔(イーグルス)のような攻撃スタイルが生きてくる余地もあった。
景浦將(大阪)は5本塁打と変わらぬ長打力で、8位にランクイン。31打点で打点王を獲得している。また中島治康(巨人)が打率.345で初の首位打者を獲得。6本塁打で本塁打王を獲得したハリス(イーグルス)は、長打率.504で最高長打率も記録した。ただし、ハリスと中島はボールを選ぶことをあまり得意としなかったようで、特にこのシーズンは最多四球を記録した西村が39四球だったのに対して、それぞれ10四球、11四球の獲得に留まっている。
ベスト10圏外の注目選手ではイーグルスの中河美芳。一塁守備の名手としてオールドファンには長く語られた名前である。投手としても活躍し、前シーズンにあたる1937年秋は規定(当時は投球回でなく試合数)に達して13勝5敗。防御率2.05は3位とエース級の活躍であった。このシーズンはまずまずの打率・出塁率を記録したが、打率.270、長打率.270と数字が等しくなっている。一塁手としては珍しい長打0を記録した。