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打撃の神様・川上哲治の時代に セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1939-40年編~

2021/02/05

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Getty Images, DELTA・道作



1939年のNPB

チーム   試合 勝率 得点 失点 得失点
巨人     96 .717 493 267  226
大阪     96 .677 438 277  161
阪急     96 .617 367 268  99
セネタース  96 .563 290 287  3
南海     96 .444 336 342  -6
名古屋    96 .418 301 349  -48
金鯱     96 .391 265 398  -133
ライオン   96 .363 314 429  -115
イーグルス  96 .309 247 434  -187
 

 
 前年まで、春・秋の年間2シーズン制を採用していたNPBだが、この1939年から1シーズン制となった。1球団の年間試合数も96試合とかなり現代のリーグ戦に近づいてきている。

 リーグトップは2年目でwRAA33.5を記録した新鋭・川上哲治(巨人)となった。当時としては恵まれた体格から強打を披露し、wRAAのほかにも打率.338、長打率.493、75打点、1打席あたりの得点貢献を表すwOBA(※3)でも.389でリーグをリードした。なお川上はもともと投手。この年も完全に野手にコンバートされていたわけではなく、投手としても102.2イニングを投げていた。
 
 ちなみに川上は三塁打も12本でリーグトップを記録したが、この頃は現代と比べて非常に三塁打の多い時代である。走力に優れた打者が三塁打をよく記録することは現代でもあるが、この頃は走力がなくても長打力のある打者であれば三塁打をよく記録していた。外野を越える打球を放つことは、一部の打者以外かなり難しい時代であったようだ。
 
 現代の野球においては、三塁打/二塁打の割合は10%程度になる。戦前ではこれが右打者で28%、左打者に限ると42%にまで跳ね上がっている。左打者が引っ張って外野を抜いた場合、二塁に止めることはかなり難しい時代背景だった。また、現代の球場は当時に比べかなり広くなっているにもかかわらず、昔の方が圧倒的に多くの三塁打が記録されているのは、当時に比べて現代の外野手の能力が向上していることの状況証拠でもある。
 
 2位には後年監督としても川上とライバル関係になる鶴岡一人(南海)が10本塁打で本塁打王を獲得しランクイン。後年のシュアな打撃を見せたイメージと異なり長打力に優れており、長打率.470も川上に迫る優秀な数字であった。3位にはこちらも巨人の新鋭・千葉茂がランクイン。四球を多く獲得する特性を生かし、早くも出塁率.420で1位となっている。
 
 4位の巨人・白石敏夫(後に勝巳と改名)は一貫して四球の多い打者で、この年は千葉を上回る82四球で最多四球となった。なぜファーストストライクを打たないかと聞かれ「もったいなくて打てない」と答えた逸話もあるが、打者は最低3球までは投げさせる権利を持っていることをこの時点で認識していたのかもしれない。打席での態度という意味では時代の先駆けと言える。
 
 ベスト10圏外の選手では巨人のリベラを取り上げる。NPBでは史上初にして、2020年終了時点で最後のフィリピン国籍選手となっている。マニラ税関勤務から1年間の予定で来日した選手である。粒ぞろいの阪神打線に対抗する手段でもあったようだが、規定到達68人中22位なので期待に応えたと言えるレベルだろう。各国間の野球の力関係も現代とは異なっている事情が垣間見える。リーグ最多の493得点を記録した巨人打線で役割を果たした。ちなみに球団史上初の満塁本塁打を放ったのもこのリベラだった。
 

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