セイバーメトリクスの視点で見るNPB歴代最強打者ランキング ~4位-6位~
2021/02/24
Getty Images, DELTA・道作
4位:落合博満(1979-1998年)
wRAA通算:674.4 ベスト5シーズン:3位 ベスト10シーズン:3位
歴代通算wRAA4位はロッテ、中日などでプレーした落合博満となった。落合はデビューが25歳と遅かったうえ、初の規定打席到達もプロ3年目とさらに遅れた。通算ランキング上位の中では和田一浩に次ぐ異例の遅咲き選手となっている。近年のデータ分析によると、野球選手の打撃能力のピークは26歳から28歳あたりにくることが知られている。これらから考えると、落合や和田は通常なら成績が下降し始める時期からフル出場をはじめた異例のキャリアといえる。高卒でプロ入りすればどうなったかの想像も膨らんでしまう。ただその場合はプレー・言動ともに、個性あふれる落合のスタイルが失われた可能性も否めない。
このように遅咲きの落合は、若い段階から長く全盛期を維持した2位・張本勲にランキングでは一歩譲るかたちとなっている。ただし落合もwRAAリーグ1位を争う好成績を残し続けた時期は非常に長く、1982年に初のリーグ1位となって以後、1991年までの10年間に8回のリーグ1位を数えている。1位の回数は王貞治に続く歴代2位である。最盛期のピークも非常に高く、ベスト5シーズンの合計は歴代3位となった。
ちなみに通算ベスト10にランクインした選手は、落合を除く全員が同一球団に10年以上在籍した経験を持つ。アメリカではフランチャイズビルダーと呼ばれる選手だ。落合は最も長く在籍した球団で8年間にとどまっている。
また、外野を全体で1ポジションとカウントするならば、落合以外のベスト10全員が現役生活を通じてほとんど1ポジションしか守っていない(投手として多く出場した川上は例外とする)。一方、落合は二塁手・三塁手・一塁手としてほぼフルシーズン稼働した経験を持つ変わり種である。ちなみに落合は守備指標Relative Range Factor(※3)で見た場合、衰えがではじめた段階で、二塁→三塁→一塁とポジションを移していた。自身の守備力の衰えを理解し、大きな損失を生む前にコンバートを受け入れていたようにも見える。
落合は契約に対する姿勢もシビアで、従来の選手とは一線を画していた。実際契約額も高く、NPB初の1億円プレーヤーとなったほか、1994年の読売移籍時には、最高年俸3憶8千万に達したと報道されている。
ただ長嶋の項でも紹介したが、ONは当時MLBトップ選手と同格の年俸を得ていた。ところがON直後の時代のNPBでは年俸が伸びず、この落合の頃になってようやく盛り返したといったところである。90年代中盤のMLBトップ選手の年俸は600-800万ドル程度であるため、落合の3億8000万円でMLBトップ選手のようやく半分というレベルになった。ところが現代における、日米格差はこれよりもさらに大きい。贔屓チームで何年も好成績の選手がいれば、いつまで雇えるのかと心配になる人もいるのではないだろうか。世界的には多くのスポーツ業界で報酬が桁違いに伸びているにもかかわらず、日本球界には相対的なデフレが起こってしまった。