セイバーメトリクスの視点で見るNPB歴代最強打者ランキング ~4位-6位~
2021/02/24
Getty Images, DELTA・道作
6位:野村克也(1954-1980年)
wRAA通算:621.5 ベスト5シーズン:9位 ベスト10シーズン:6位
6位は南海、西武などでプレーした野村克也となった。野村はNPBの歴史上、最も息の長い活躍を続けた選手の1人である。出場試合3017試合はのちに谷繫元信が超えたものの、通算11970打席、通算10472打数は現在もNPB記録保持者となっている。通算出場試合数の1位と2位がともに捕手というところに、日本独自の野球文化が垣間見える。
1957年に初めてwRAA40点を超えてから1970年に40超えを記録するまでが全盛期である。タイプとしては、出塁能力にも秀でてはいたものの、どちらかというと長打、特に本塁打のスペシャリストの感が強い。
野村は本人を取り巻くチーム事情といった点で激変を味わった選手だ。元来、関西地方においては人気・実績ともに南海が他球団を圧倒していた。関西地方ではじめて通年のTV中継が開始されたのもやはり南海だった。本来ならここでセ・リーグと拮抗する画を描くべきところだが、南海の度重なる放映権料値上げ要求によりこの契約はわずか2年で打ち切りとなる。今、考えると、放映権料は露出を増やして人気を定着させればあとからついてくるものである。商売全体の規模を拡大する視点が欠けていたようにも思える。
新しいメディアを使いこなせなかった南海は人気・実力ともに低落傾向を招き、結果としてパ・リーグ全体の露出も大きく減ってしまう。このときに選手・野村の運命も定まったのかもしれない。1950-1966年は優勝9回、2位8回と2位以内に入った確率が100%。競馬でいうところの「連対率100%」状態であったが、その後は身売りまで23年間、年間勝率1位を1度も記録できなかった。メディア戦略がすべてではないが、山内同様にプレー以外の面で不運がつきまとったようだ。
話をプレーの評価に戻すと、野村のポジションは捕手であった。守備的ポジションの捕手に強打者を配備できることの優位性は大きく、他球団捕手の打撃が振るわなければ1つのポジションで大きな利得が生まれることを体現していた選手だ。ピーク時の高さはほかのベスト10選手に譲るが、平均して高い成績を継続しつづけたことによる積算系のスタッツに強みを持つ。最多本塁打9回、最多打点7回、最多塁打5回はいずれもパ・リーグ記録である。
(※2)1949年まで8チームであったNPBは2リーグ分裂の1950年に15チームとなり、その後1957年までは現在よりもチーム数の多い状態が続いた。リーグ全体で、そう簡単に2倍近くの選手を揃えられるはずもなく、各球団は選手獲得に苦慮した。単純に数だけでもデータ分析観点から見た場合控えレベルといえる選手が出場選手の1/4を占めるシーズンもある。こうした選手のレベルが低くなった時代のwRAAは伸びやすく、一般的なシーズンよりやや過大な数字となっている。
(※3)Relative Range Factor::9イニングあたりの刺殺・補殺の数によって野手の守備力を評価するRange Factorを発展させた指標。一般的な野球の記録から算出することができるため、過去の野手の守備を評価する際に用いられることが多い。
DELTA・道作
DELTA(@Deltagraphs)http://deltagraphs.co.jp/
2011年設立。セイバーメトリクスを用いた分析を得意とするアナリストによる組織。書籍『プロ野球を統計学と客観分析で考える デルタ・ベースボール・リポート1~3』(水曜社刊)、電子書籍『セイバーメトリクス・マガジン1・2』(DELTA刊)、メールマガジン『1.02 Weekly Report』などを通じ野球界への提言を行っている。集計・算出した守備指標UZRや総合評価指標WARなどのスタッツ、アナリストによる分析記事を公開する『1.02 Essence of Baseball』(https://1point02.jp/)も運営する。