30代当時「野球に興味はなかった」【前日本ハム球団社長・藤井純一氏#1】
現在、日本のプロ野球界で実に効率的なチーム作りをしているのが北海道日本ハムファイターズである。東京から北海道へ移り、地域密着に成功した球団の土台を築いた一人が藤井純一前球団社長だ。これまでの藤井氏の話を聞くと、「負けない」ファイターズ、「集客力のある」ファイターズの土壌が見えてくる。
2015/08/18
北海道日本ハムファイターズの礎を築いた一人
野球を始めとしたチームスポーツの面白さは、高年俸の選手を集めてもチームが強くなるとも限らないことだ。それぞれの役割を理解した選手たちを、美しい流線型に並べることが大切なのだ。
その意味で現在の日本のプロ野球界で実に効率的なチーム作りをしているのが北海道日本ハムファイターズである。
2012年、絶対的なエースだったダルビッシュ有がテキサス・レンジャーズにポスティング制度を使って移籍した。翌2013年1月には打率3割、ゴールデングラブ賞を連続で続けていた主軸打者の糸井嘉男をトレードで出した――。
また、メジャーから戻って来た日本人選手について他球団と競争してまで獲りに行くことはない(メジャー帰りの嚆矢、新庄については後述する)。
球団予算に見合った選手でやりくりするという方針を貫きながら、北海道に本拠地を移して以降の11シーズンでリーグ優勝4度、いわゆるBクラス――4位以下に落ちたのは3度のみ。今年も福岡ソフトバンクホークスに続くパリーグで2位につけている。
この継続的な成功の礎を築いた人間の一人が、前社長の藤井純一だ。
1949年、藤井は兵庫県で生まれた。近畿大学農学部水産学科卒業後、日本ハムに入社した。
なぜ水産学科を選んだのですかと、訊ねると「元々理科系で、近大ぐらいしか行けるところがなかった、早い話が」と答えが帰ってきた。
日本ハムに入ったのも、特に理由はなかったという。
「受けたら、たまたま通った。それで入ったけど、何回も辞めようと思った。もう、やってられんと」