見習うべき先行モデルはドイツ――セレッソ大阪への出向【前日本ハム球団社長・藤井純一氏#2】
現在、日本のプロ野球界で実に効率的なチーム作りをしているのが北海道日本ハムファイターズである。東京から北海道へ移り、地域密着に成功した球団の土台を築いた一人が藤井純一前球団社長だ。これまでの藤井氏の話を聞くと、「負けない」ファイターズ、「集客力のある」ファイターズの土壌が見えてくる。
2015/08/19
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自ら汗を掻く男
85年、藤井純一は奈良営業所から日本ハムの本社の営業企画部に戻った。87年には広告宣伝室へ異動している。
広告担当として、藤井が厳しく律していたのは〝正当〟な形でお金を使うことだった。例えば、テレビCMの効果は本当にあるのか。正しい値段なのか。中間で無駄な出費がないか――。
ハム1個の利益は約十円。それが積み重なって会社の利益となっている。効率的に宣伝費を使わなければ他の社員に申し訳ないと藤井は考えていたのだ。広告の現場で細かく目を光らせる藤井は疎んじられることもあった程だという。
藤井はよく「汗を掻かない奴は駄目だ」という言葉を使った。日本ハムの北海道販売部にいた中井敏春は、ある冬の出来事をよく覚えている。
日本ハムはある歌手のコンサートツアーの冠スポンサーとなっており、乗用車を改造したソーセージ茹でる移動式の車を置くことになっていた。北海道公演の時、次の会場へ移動しなければならない。移動の道は雪道である。尻込みしたスタッフたちを見た藤井は自ら「俺が運転していく」と言い出した。中井が慌てて止めると、「福知山も雪が降るんだ。俺に任せとけ」と言うと走り去った。趣味の自動車の運転が生きたのだ。
藤井は自ら汗を掻く男だった。
そんな藤井の人生がスポーツに近づいたのは93年のことだった。