見習うべき先行モデルはドイツ――セレッソ大阪への出向【前日本ハム球団社長・藤井純一氏#2】
現在、日本のプロ野球界で実に効率的なチーム作りをしているのが北海道日本ハムファイターズである。東京から北海道へ移り、地域密着に成功した球団の土台を築いた一人が藤井純一前球団社長だ。これまでの藤井氏の話を聞くと、「負けない」ファイターズ、「集客力のある」ファイターズの土壌が見えてくる。
2015/08/19
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スポーツビジネスを勉強する必要性がある
96年のセレッソ大阪の営業収入は24億4800万円、支出30億730万円で、6億2500万円の赤字となっていた。日本ハムなど3社の親会社から約12億円の支援を受けてこの数字である。
まず藤井が気になったのは、クラブが地元に根付いていないことだった。
「当時一番集客力のあった鹿島アントラーズが本拠地を置く鹿嶋市の人口は6万5000人、セレッソが本拠地を置く長居スタジアム周辺の東住吉と住吉だけで35万人。自転車で20分ぐらいのところだけ営業すればいい」
藤井は自ら先頭に立ち、ロゴ入りステッカーを街頭で配り、その裏には、チケット割引券を貼り付けた。
そして人員整理にも手をつけている。
「そのとき、ヤンマーと日本ハムから出向してきた人が16人いた。彼らは、親会社があるから、どんなに業績が悪くても潰れるとは思ってない。今後、サッカークラブを自分たちで支えるという人を採用しましょうと。それで皆さんには帰ってもらって、最終的にはヤンマーからの出向は二人、日本ハムは私。それ以外はプロパー化していった」
さらに、現役を引退し、フロント入りしていた梶野智や勝矢寿延たちに、試合終了後スタジアムで「今日はありがとうございました」と挨拶させた。
敗戦が続き、サポーターたちが不満をこぼしているのを聞くと、現役引退したばかりの選手に話をさせにいったこともあった。自分が行くよりもスムーズに事が進むだろうと判断したからだ。
また、アウェイの試合ではサポーターを集めて、〝弾丸ツアー〟を企画した。バスの添乗員は、梶野、勝矢、そして藤井である。
「天皇杯の決勝に進んだ時は、バス代往復で4000円。半分は持ち出しでした。ただ、天皇杯の賞金が入ってくる。それをサポーターに還元すると考えればいい」
格安の運賃ということで、バスは総計40台にもなった。
こうした藤井の行動の助けとなったのは、欧州のあるビッグクラブだった。
セレッソ大阪に出向したばかりの頃、藤井は大社とこんな会話を交わしている。
――将来のことを考えたら、スポーツビジネスをきちんと勉強した方がいい。
しかし、この時点で日本国内に見習うべき先行モデルはないと二人の意見は一致していた。
「海外で探さなあかんね、という話になった」
それがドイツの名門、バイエルン・ミュンヘンだった。
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藤井純一(ふじい・じゅんいち)
1949年大阪府生まれ。近畿大学農学部水産学科卒業後、日本ハムに入社。1997年、Jリーグクラブのセレッソ大阪(大阪サッカークラブ株式会社)取締役事業本部長に就任、2000年に同社代表取締役社長。2005年、株式会社北海道日本ハムファイターズ常務執行役員事業本部長に就任。翌年から2011年まで代表取締役社長(06、07、09年にリーグ優勝、※06年は日本一)。現在は近畿大学経営学部特任教授を務める。
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